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新年特集 日本国大勝利への道(後篇)

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新年特集 日本国大勝利への道(中篇)では

この100年間、ダメリカが日本に対して行ってきた

攻撃について書きました。

しかし、最近になってついに反撃することができました。




「サブプライムショック」です。

欧米諸国は持っているカネの何十倍もの借入金を使って金融経済を膨らませました。

相場が飽和するまではうまくいっていましたが、買い続けるだけのカネが

なくなった途端崩壊しました。

これは、価格が上昇することを前提に土地を担保に借り入れを行い、

そのカネを相場に突っ込んでいましたが、平成になって異常な地価上昇に

歯止めがかかった途端、バブルが崩壊した日本と似ています。

ただ、日本は「土地」と言う現物が存在していましたが、

欧米のバブルには「現物」に相当するものはありません。

「証書」と言う紙切れに金を突っ込んだ分、救いようがありません。




問題は、誰が犯人か、と言うことです。


ほとんど証拠はありませんが、これをやったのは日本でしょう。

もちろんこれまでの報復としてです。



ダメリカでリーマンブラザーズが倒産したのは

誰もが知るところですが、他にも多くの地方銀行が

倒産し、証券業界でやりたい放題やっていた

ダメリカの投資銀行は、公的支援を受ける条件として

純粋な銀行へと転換させられ、各種規制に縛られることになりました。



ギリシャ問題を引き金として欧州危機も起こりました。

ギリシャ政府の収入を担保としてゴールドマンサックスなどが

財政赤字隠しのためのカネを貸し付けていましたが、

莫大な赤字が暴露され、ギリシャ国債が暴落。

ギリシャ国債を持っていた欧州金融機関や通貨ユーロが

暴落しました。

ユーロが暴落して都合のいいのは、

サブプライムショック・それに続くリーマンショックで

ドルが暴落していたダメリカです。

ダメリカは欧州を蹴落とすことで生き延びようと画策しました。

結局金融機関がギリシャ国債の9割を放棄することで

危機を乗り切りました。



現在のところ世界の金融情勢は小康状態を保っていますが、

簿外取引でヘッジファンドに押し付けた損失が

すべて解消されたとは思えません。

その証拠に、ダメリカ・エ下劣・フランスとも

株価上昇に反比例して出来高が減っています。

ダウに関しては

相場詐欺師のキャッチボールだけ

で書いています。


これは、ニュースなどで「ダメリカの株価が最高値更新!」

などと報じていても、そんな高値で買うヤツなんかいない

と言うこと、つまり、企業業績・経済実態と株価が

釣り合っていないということを表しています。


さらに酷いことに、 負け犬の遠吠え でも書きましたが、

買うだけのカネもないということです。



しかし日本では、特に金融機関が倒産して

大騒ぎになることはありませんでした。

(弱小銀行が多少倒産し、JAなどの隠れた含み損の噂もありますが)

逆に、三菱UFJフィナンシャルグループは

モルガン・スタンレーを救済することで、筆頭株主になりました。

これは、日本で言えば三井住友銀行がダメリカ企業の

傘下に入るのと同じくらい衝撃的なことです。

また、1ドル75円・1ユーロ100円近辺の円高により、

過去最大金額のM&A(企業買収)が行われました。

この場合はもちろん、日本企業によるダメリカ・欧州

企業の買収を意味しています。

そしてちょうどよい頃合いに「アベノミクス(笑)」

による日本の金融緩和で円安となりました。

なぜ(笑)かと言えば、円高の状態で仕込みをした後

円安に誘導してボロ儲けすることは

自明の理だったからです。

「為替介入」と称して1ドル82~75円程度で

25兆円分もドルを買ったとき、私はずっとニヤニヤ

していました。

今は1ドル103円程度ですが、あの時買ったドルは

今、30兆円ほどになっています。5兆円の利益です。

M&Aも、200兆円ほど行われたようなので、

カス企業を掴まされてなければ、240兆円ほどの

企業価値になっているはずです。40兆円の利益です。



中国は57兆円の経済対策で大盤振る舞いし杉てバブルが加速、

物価が上昇して人民の生活も国営企業も破綻寸前です。

尖閣で反日を煽って企業を撤退させていた時も

私はニヤニヤしていました。


尖閣や竹島や靖国は日本が都合に合わせて

好きな時に起動できる「反日スイッチ」なのです。




犯人を捜す時は、一番利益のある人間を疑うのが鉄則です。

意図的に為替誘導や企業買収、中国からの撤退を

しているのは明らかですから、犯人はおのずと知れるわけです。


別に罪悪感を感じる必要はありません。

ダメリカまで続くドミノに 挙げた通り、

ダメリカは「原爆投下で戦争の犠牲者数が増えずに済んだ」

などと、国家ぐるみで正当化しているのですから、

日本は「ダメリカの金融不正を正すために

サブプライムショックを起こした」のです。



デフレや地震攻撃で大変な思いもしましたが、

日本の反撃によってついにダメリカの世界支配が

崩壊を始めました。

世界支配を続けるだけのカネがなくなり、世界から撤退を始めます。


≪売国断腸の洗脳にかかってる皆さん必見!!! シリーズ その8≫

に書きましたが、ダメリカは莫大な金を世界中にばらまいて

求心力としていました。もちろん日本もその一つです。

しかしばらまくカネがなくなると、リビアやエジプトでは

反乱が起き、独裁体制が破滅しました。

現在でも内乱が収まらないシリアも同じでしょう。


イランに対しても 断腸の法則 RETURNS で書いた通り

核開発を潰せずに制裁の解除が始まりました。

シリア攻撃がロシアによって阻まれたことと合わせ、

ダメリカの中東支店・イスラエルは窮地に立たされています。


もう一つ、特亜支店の南チョンは

単なる普通名詞でしかない の通り

ダメリカ資本がタップリ入っていますが、これも崩壊寸前です。





今世界で起こっている事は、

「ダメリカが日本に敗北した」

ことによる連鎖反応なのです。

この連鎖反応が止まるとき、

それが皇国日本の大勝利が

確定するときなのです。





(新年特集 おわり)



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新年特集 日本国大勝利への道(中篇)

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新年特集 日本国大勝利への道(前篇)では、

戦後ダメリカが余計なことをしたばっかりに、

ブーメランとなってダメリカに突き刺さった

ということを書きました。


では世界情勢はどうだったのでしょうか。。。

思い出してください。。。

  。。。

。。。

      。。。


冷戦ーWikipedia

wiki冷戦


第二次世界大戦後の世界を二分した、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造である。
1945年から1989年までの44年間続き、アメリカ合衆国とソビエト連邦が軍事力で直接戦う戦争は起こらなかったので、軍事力で直接戦う「熱戦」「熱い戦争」に対して、「冷戦」「冷たい戦争」と呼ばれた。「冷戦」という語は、バーナード・バルークが初めて使い[1]、アメリカの政治評論家ウォルター・リップマンが1947年に上梓した著書の書名に使った(『冷戦―合衆国の外交政策研究』)ことから、その表現が世界的に広まった。


のっけから胡散臭いことこの上ありません。

前回の内容を覚えていますか?

ten1989年


日米貿易摩擦の期間と冷戦の期間は重なっているのです。

わかるでしょうか。

冷戦と言うのは日本包囲網のための茶番だったのです。

冷戦と言えばよく取り上げられるのはこれでつね。


キューバ危機ーWikipedia

wikiキューバ危機1

wikiキューバ危機2


キューバを舞台に、1962年10月14日から28日までの14日間に亘って米ソ間の冷戦の緊張が、核戦争寸前まで達した危機的な状況のことである。

ミサイル撤去
しかし、ワシントン時間10月28日午前9時、ニキータ・フルシチョフ首相はモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表した。

この決定は、ケネディ大統領が教会に礼拝に訪れ(アメリカ大統領が通例として戦争突入前に教会で祈りを捧げる、という憶測)また、再度TV演説を行う、という情報を受け、ここでアメリカによる戦争開始声明が読み上げられると同時にキューバへの空爆が実行に移される、という憶測に狼狽したソ連首脳部の決定で、その放送予定に間に合うよう、外交ルートを通さずにモスクワ放送を通じてロシア語でミサイル撤去声明を読み上げるという形で急遽行われた。

しかしこれらは誤報・誤解で、実際のケネディ大統領演説放送は単なる海上封鎖演説の再放送番組にすぎなかったことが後に判明している。

フルシチョフはケネディの条件を受け入れ、キューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体し、ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、その後1963年4月トルコにあるNATO軍のジュピター・ミサイルの撤去を完了した。

その後
その後キューバに対するアメリカの介入も減少し、冷戦体制は平和共存へと向かっていくことになる(米ソデタント)。この事件を教訓とし、首脳同士が直接対話するためのホットラインが両国間に引かれた。一方、カストロは、米ソの頭越しの妥協に不快感を示し、ソ連への不信感をも募らせていくことになる(チェコ事件で和解)。カストロはその後ソ連に2回訪問し、フルシチョフと2人で事件について冷静に振り返っている。カストロは自らがアメリカを核攻撃をするようにソ連に迫ったことを記憶していないとしたが、フルシチョフは通訳の速記録まで持ってこさせて、カストロに核攻撃に関する自らの過去の発言を認めさせた。


なんだかんだと書いていますが所詮元のさやに戻っているのです。

当事者レベルでは必死だったのかもしれませんが、シナリオを描いてる

人間は、何発か核ミサイルが飛び交っても、それはそっちのパターンの

シナリオが用意されているのです。単にソ連がヘタレだったから

このパターンになっただけのことです。


ダメリカとソ連が、冷戦を口実に「ほらソ連の脅威だ!」と

日本の目の前でやって見せることで、対米従属を強要し、

経済で圧力をかけ、軍事的格差を構築していったのです。


1989年といえばバブルのさ中です。1985年のプラザ合意で

日本にバブルを仕掛けたダメリカは、用済みのソ連を切りました。

ソ連としても、社会主義国家体制の行き詰まりで国内経済が

崩壊を始めていましたから、渡りに船でした。

この時点でソ連は日本包囲網から「一抜けた!」を

宣言しました。こういう話を聞いたことがあるでしょう。



エリツィン元大統領、『四島即時返還』を提案 97年日ロ首脳会談
http://d.hatena.ne.jp/butch1960/20080918/1221705471

エリツィン元大統領、『四島即時返還』を提案 97年日ロ首脳会談


冷戦中は知ってか知らずか日本包囲網の一員でしたが

もはやダメリカに付き合う必要はなくなったからこういう

話になるのは当然です。

もうすぐダメリカは完全に没落して、北方領土問題の解決を

邪魔する力もなくなるでしょう。



冷戦後の対日妨害工作はまず一つ目はバブル崩壊です。

前回小沢のところで書きましたが、ダメリカの常套手段、

「最大限膨らませてから潰す」と言うやり方で、日本経済に

莫大な損害を与えました。

このシリーズは外交がメインなので、経済ネタについては

このくらいにしておきます。


そして二つ目は中国です。



人民元の切り上げ
http://www.brics-jp.com/china/gen_kiriage.html

人民元の切り上げ


中国の通貨である元(人民元)は、1994年に1ドル=5元台から8元台まで大幅な切り下げが行われました。輸出で儲けたい中国と、中国を安価な労働力として利用したい米国のクリントン政権の思惑が一致した為、このような大幅な切り下げがあったと言われています。そして98年から2005年6月までは、1ドル=約8.28元の固定相場制でした。


「円安で企業収益ガー」と言う話をよく聞くと思いますが、

自国通貨が高くなると輸出に不利、

自国通貨が安くなると輸出に有利、と言う関係があります。

つまり、ダメリカは中国に有利な為替操作を行うことで

日本の輸出にダメージを与える策略を使ってきたのです。

「失われた10年」などと、さもバブルの崩壊だけが

原因のように洗脳されているかもしれませんが、

実際はこのような攻撃が行われた結果のデフレ経済

だったのです。



日本の頭越しでの米中国交正常化・冷戦・バブル崩壊・

元の切り下げ、と、なぜダメリカは執拗に

「同盟国」日本を攻撃してくるのでしょうか。

それは、叩いても叩いても潰れないからです。


どこかに「日米同盟がなくてもどこかの属国ニダ!」などと

バカと無知を晒してる断腸がいましたが、

日本はどこの属国にならなくても欧米と張り合う、

いやそれ以上の勝負をすることができるのです。

なぜそんなことが言えるのか。それは実績があるからです。


第一次世界大戦ーWikipedia

wiki第一次世界大戦日本


日本の参戦
詳細は「第一次世界大戦下の日本」を参照
連合国5大国の一国
地中海でイギリスの輸送船トランシルバニア号の乗務員を救出した大日本帝国海軍の駆逐艦「榊」

日本は日英同盟に基づいて、1914年8月23日にドイツ帝国へ宣戦を布告し連合国の一員として参戦し、帝国陸軍はドイツが権益を持つ中華民国山東省の租借地青島を攻略、海軍は南洋諸島を攻略した。イギリスがドイツ権益地域の山東半島を戦後日本に与えると約束したため、日本は参戦した

英仏露からは、主戦場であるヨーロッパの戦線への帝国陸軍の派遣要請があったがこれを拒絶したものの、帝国海軍は連合国からの再三の要請を受け、1917年には巡洋艦「明石」及び樺型駆逐艦計8隻からなる第二特務艦隊を派遣、後に桃型駆逐艦などを増派し合計18隻を派遣し、インド洋と地中海でイギリスやフランスなどが持つ世界各地の植民地からヨーロッパへ向かう輸送船団の連合国側商船787隻、計350回の護衛と救助活動を行った

特に、1917年後半から開始したアレクサンドリアからマルセイユへ艦船により兵員を輸送する「大輸送作戦」の護衛任務を成功させ、連合国側の西部戦線での劣勢を覆すことに大きく貢献したものの、多くの犠牲者も出した。被害としては駆逐艦「榊」がオーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦「U27」からの攻撃を受け大破、59名が戦死した。「榊」は完全な状態に修理するのに8か月を要した。他の戦闘をあわせて地中海前線においては日本軍将兵計78名が戦死しており、戦後、マルタ島のイギリス海軍墓地の一隅に墓碑が建立されている。 またロシア革命後の1919年に他の大国とともにシベリア出兵を実施した。

戦後、大日本帝国も連合国の5大国の一国としてパリ講和会議に参加し、パラオやマーシャル諸島などの、それまでドイツが支配下に置いていた赤道以北の太平洋上の南洋群島を委任統治領として譲り受けるとともに、国際連盟の常任理事国となった


もう重要杉てまっかっかですが、第一次世界大戦は

日本のおかげで勝ったようなものです。

英仏軍はドイツ軍と必死に戦っていましたが、

日本はあっさりドイツに勝ってしまいました。

この時点で日本の強さは世界一だったのです。

それを邪魔したのがダメリカです。


第一次世界大戦下の日本ーWikipedia

wiki第一次世界大戦日本


アメリカとの関係悪化
日本が列強の一国となり、戦後にヴェルサイユ条約によりドイツが持っていた山東省の権益と、アメリカ領フィリピンとハワイの間に位置するパラオやマーシャル諸島の統治権を得たことや、シベリア出兵を続けるなどしたことが、日本がアジア太平洋地域において排他的経済ブロックを構築し、アメリカによる中華民国への経済進出を阻害するのではないかとの警戒を呼んだ

これに対してアメリカは、元宗主国のイギリスに働き掛けて日英同盟を撤廃にさせるよう圧力をかけたほか、日本が主張した人種差別撤廃案に対しても強硬に反対した。さらに国内でも黄色人種に対する人種差別を背景に日本に対する脅威論が支持を受けた他、これに後押しされた人種差別的指向を持つ諸派が「黄禍論」を唱え、その結果、排日移民法によって日本からアメリカへの移民が禁止された。

これらのアメリカによる一方的ともいえる敵対的行動に対して、日本でも反米感情が高まり日米関係は悪化することとなり、日本のアメリカ、イギリスとの別離とドイツ、イタリアへの接近、その後の第二次世界大戦における両国の衝突につながった。

日英同盟解消
日英間の関係を分断すると同時に、アジア太平洋地域と中国における自国の権益を守るべくアメリカが提唱した、「太平洋における領土と権益の相互尊重」と、「諸島における非軍事基地化」を取り決めた「四カ国条約」が、1921年に日本、アメリカ、イギリス、フランスの間で締結され、アメリカの願いどおりに日英同盟は解消された。日露戦争後には友邦となっていたロシアが革命によって共産化したことも重なり、日本は実質的な同盟国をもたない状態となった。


赤くないところも重要なので読んだ方がいいでつね。


これでお判りでしょう。

第一次世界大戦後、日本は間違いなく世界最強でした。

そしてそれをダメリカが小細工で妨害する。

ずっとその構図だったのです。

要するにダメリカは不倶戴天の敵だということです。


この後に続く大東亜戦争前後のことは

新年特集(後編)で書いたとおりです。


この構図は最近まで続きます。



(つづく)



新年特集 日本国大勝利への道(中篇)

新年特集 日本国大勝利への道(前篇)

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1月も半分以上過ぎ、いまさら「新年」もないもんですが、

粛々と進めましょう。



新年特集(後編)では、ダメリカと共産主義勢力による日本人洗脳工作について書きました。

これについては、過去の記事でも多々書いています。


匿名党ブログとてんこもり野郎ヲチスレ★2 761-770
  ・ダメリカ中枢はハル・ノートが開戦につながることを認識していた。
  ・日本に先制攻撃をさせるように仕向けた。
  ・ルーズベルトは日本人に対して人種差別・民族浄化のスタンスだった。
  ・ルーズベルトはスターリン・共産主義勢力と迎合し、侵略を黙認していた。
  ・スターリンはレーニンの「砕氷船のテーゼ」に基づいて行動した。
  ・日本の首脳部にも共産主義勢力が入り込んでいた。

匿名党ブログとてんこもり野郎ヲチスレ★2 751-760
  ・カトリックの影響下の吉田茂が朝鮮人の東郷茂徳に辞職を迫る。
  ・ハル・ノートはダメリカ側としても最後通牒だった。
  ・昭和16年11月5日の御前会議で、交渉期限は12月1日午前0時までと決定していた。

日本側の非戦論者の立場を完全に失わせたんだよダメリカが
  ・ダメリカは通信を傍受し、日本側交渉期限が昭和16年11月25日であることを分かったうえで
   26日にハルノートを提示した。
  ・昭和天皇へのダメリカからの親電は、「事務的なもの」「記録を作るためのもの」
   でしかなかった。

>白い菊と白いヒマワリ
  ・日本への原爆投下はユダヤ人によるもの。
  ・ハルノートを策定・決定したのはユダヤ人・ユダヤ系財閥出身者。

≪売国断腸の洗脳にかかってる皆さん必見!!! シリーズ その7≫
  ・GHQは共産主義勢力の巣窟だった。
  ・GHQは日本のマスコミを脅迫し、日本人洗脳を強要した。
  ・GHQは部落解放同盟とつながっている。

匿名党ブログとてんこもり野郎ヲチスレ★2 11-20
  ・日本の売国左翼を作ったのはダメリカ。

匿名党ブログとてんこもり野郎ヲチスレ★2 781-790
  ・戦後の共産党その他の左翼の中に朝鮮人が入り込んだ。


これらをまとめると、

 (1)ダメリカ中枢のユダヤ人は共産主義勢力を引き込み、
    日本に先制攻撃させるための工作を行った。
 (2)ダメリカのユダヤ人が原爆を開発し、ダメリカの
    ユダヤ人が原爆投下を決定した。
 (3)戦後ダメリカは共産主義勢力を使って日本人を
    洗脳した。
 (4)日本人を洗脳するにあたって、朝鮮人を日教組・
    極左等の左翼に潜り込ませ、自虐史観・反日教育を
    強要した。


これが大東亜戦争前後の顛末です。


その後、


google検索:tenkomoriwotisure 吉田茂

ten吉田茂





google検索:tenkomoriwotisure 岸信介

ten岸信介


によって戦後の日本が構築されて行きます。

上記のリンク先記事を読んでもらえばわかるとおり、

戦後の日本政治にはカネと圧力を使ってダメリカが

介入してきました。


この時代にはこういう人間もいました。


小沢佐重喜ーWikipedia

wiki小沢佐重喜1

wiki小沢佐重喜2

wiki小沢佐重喜3

wiki小沢佐重喜4


東京市会議員、東京府会議員を経て、1946年、戦後初の総選挙である第22回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から立候補し衆議院議員に当選する。以後、当選通算10回(当選同期に小坂善太郎・二階堂進・江崎真澄・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。自由党に所属し、吉田茂に重用される。第2次吉田茂内閣の運輸大臣、第3次吉田茂内閣の逓信大臣、初代郵政大臣兼初代電気通信大臣、第5次吉田茂内閣の建設大臣を歴任する。

1955年、保守合同・自由民主党に参加する。国会内の調整力に長けたことから、岸信介から日米安全保障条約に関する特別委員長に指名され、川島正次郎幹事長らと共に安保改定を実行した。1960年、第2次池田内閣で行政管理庁長官、北海道開発庁長官に就任した。


時代は後になりますが、合わせてこれも載せておきましょう。

小沢一郎ーWikipedia

wiki小沢一郎


竹下派、特に金丸の意向によって1989年8月に成立した第1次海部内閣では金丸の推薦により47歳の若さで党幹事長に就任。金丸・竹下とともに、政権の実質的な実力者となり、ねじれ国会下で公明党など野党とのパイプを駆使して国会対策にあたった。リクルート事件後初の総選挙で苦戦が予想された1990年(平成2年)の第39回衆院選を、自由主義体制の維持を名目に経済団体連合会(経団連)傘下の企業から選挙資金300億円を集めて勝利。同年8月、湾岸戦争が勃発すると、小沢はペルシャ湾に自衛隊を派遣することを模索した。「アジアへの配慮が必要だ」と反対する外務省や、ハト派である海部俊樹首相の慎重論を抑え、法案を提出させた(なお、この法案は野党の反対で廃案となり、後に国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO協力法)が成立)[11]。ただしこの際の自衛隊派遣を断念した引き換えに行われた巨額の資金援助は結果的にアメリカ側から謝意が述べられなかったという事態も併せ、左右両派から強く批判されている。この頃は「ミスター外圧」などと呼ばれたマイケル・アマコスト駐日大使が首相である海部を飛び越えて小沢(や金丸)と直接協議することが常態化しており、日米構造協議でも大蔵省の強い反対を抑え、公共投資を10年間で430兆円とすることで妥結させている[12]。こうした、首相を凌ぐ権勢や集金力から「剛腕」と称された。同年9月、金丸を代表とする北朝鮮訪問団(金丸訪朝団)に参加する。また大韓民国の盧泰愚大統領が来日した際には党役員会で強制連行等の戦後補償問題で「これ以上何を謝ればいいんだ。」と補償を拒絶したとも取れる発言したと報道され左派系団体から反発を呼んだ。


完全にダメポチです。つまり小沢親子は対ダメリカの

インターフェイスだったのですが、

「最大限膨らませてから潰す」

と言うダメリカの常套手段によって、なぜか「親中派」と

呼ばれているのです。


なぜダメリカはダメポチを潰したかったのでしょうか。

よく思い出してください。この時代に何があったのかを。。。






日米貿易摩擦ーWikipedia

wiki日米経済摩擦


第二次世界大戦敗戦後、日本の経済成長と技術革新に裏打ちされた国際競争力の強化によって、アメリカに大量の日本製品が流入し、貿易摩擦を引き起こした。

1950年代以後、繊維製品の輸出を巡る摩擦が生じていたが、1965年以後日米間の貿易収支が逆転してアメリカの対日貿易が恒常的に赤字(日本から見ると黒字)になると、問題が一気に噴出した。

1972年に日米繊維協定(繊維製品)が締結され、続いて1977年に鉄鋼・カラーテレビにおいて日本による実質上の対米輸出自主規制が実施されたことによって一旦は収束した。

1980年代に入ると今度は自動車・半導体・農産物(米・牛肉・オレンジ)が舞台となり、更に1985年にアメリカの対日赤字が500億ドルに達したことをきっかけに、日本の投資・金融・サービス市場の閉鎖性によってアメリカ企業が参入しにくいことが批判され(ジャパンバッシング)、事実上日米間経済のほとんどの分野で摩擦が生じるようになった。

1985年プラザ合意後も日本の貿易黒字・経常黒字は減るどころか1986-1988年にかけて1985年に比べ増えていった[1]。

こうした事態に対して、1989年以後日米構造協議が実施され、続いて1994年以後年次改革要望書が出されるようになった。だが、その一方で1990年代に入ると中国の急激な経済成長に伴う経済摩擦と軍事的・政治的台頭がアメリカ側の注目の対象となり、ジャパンパッシングと呼ばれる現象も発生するようになった。


戦後の割と早い時期から、優秀な日本と、

より良い製品をより安く作る能力に劣る戦勝国(笑)の

ダメリカの間では貿易摩擦が起こっていました。



ちなみに、経済のお勉強として、このあたりも

押さえておきましょう。


日本の経済論争ーWikipedia

wiki日本の経済論争




ダメリカは中国と手を結んで日本を叩き潰したくて

しょうがなかったのです。



ニクソン大統領の中国訪問ーWikipedia

wikiニクソン大統領の中国訪問


電撃訪問
一方、ベトナム戦争に介入して、国内から批判を浴びて、再選を断念したジョンソン大統領を引き継いだニクソン大統領は、米軍のベトナムからの名誉ある撤退を模索していた。1971年ニクソン政権は、北べトナムとの交渉を促進させるとともに、その年秋の国連総会での中華人民共和国の国連加盟がほぼ確実な情勢のなかで、アメリカ外交の主導権を確保するために中国との接近を図る方針に大胆に転換し、1971年7月密かにヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官が中華人民共和国政府を訪問して、周恩来首相との交渉を進め、翌年の5月までに大統領が北京を訪問することで合意した。やがてキッシンジャー補佐官の帰国後、ニクソン大統領は突然テレビで中華人民共和国訪問の電撃的な発表を行い、世界をあっと驚かせた。そして1972年2月に北京を訪問し、初日に毛沢東主席と会談した後、周恩来首相と数回にわたって会談した。1949年に中華人民共和国が成立して以降のアメリカ大統領の訪問はこれが最初であった。

国交樹立
アメリカはそれまで蒋介石率いる中華民国を中国大陸を統治する正統な政府として、中国共産党政府を承認していなかったが、この訪問で米中共同コミュニケを発表し、中華人民共和国を事実上承認した。その後、ジミー・カーター政権時代の1979年1月にアメリカと中華人民共和国の間で国交が樹立された。



しかし、日本側も黙っていいようにやられていた

わけではありませんでした。



日中国交正常化ーWikipedia

wiki日中国交正常化


1971年7月に突如としてヘンリー・キッシンジャーアメリカ合衆国国務長官が北京を極秘訪問し、米中政府間協議を行った。続いて1971年7月15日には、ニクソン大統領自身が中華人民共和国を訪問することを予告する宣言を発表し、世界を驚かせた(ニクソン訪中宣言、政治面におけるニクソン・ショックとも呼ばれる)。実際に1972年2月にニクソン大統領の中国訪問が為される。

アメリカにとっては中国をパートナーとした新しい東アジア秩序の形成を模索するものであったが、キッシンジャーがその東アジア新秩序構想において日本抜きで事を運ぼうとしていることを察知した日本政府及び田中角栄は、アメリカの先手を取ってでき得る限り早く日中国交正常化を果たすことを決断する。そしてニクソン訪中宣言からわずか1年2ヶ月という異例の早さで日中共同声明(1972年9月29日)に持ち込んだ

そして9月29日、日本国外務大臣:大平正芳と中華人民共和国外交部部長:姫鵬飛が「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)に署名。国交正常化が成立した。このとき日本はニクソン訪中宣言の後に対中アクションを起こしたにもかかわらず、アメリカよりも先に中国を承認するという、信じがたいフットワークのよさでことを進めた。政策判断の当否はともかく、アメリカの鼻先でアメリカの外交戦略の先手を取ったというのは日本の戦後政治史において例外的なことである。

それから4年後の1978年8月、福田赳夫政権の下で日中平和友好条約が調印された。


つまり、ダメリカが余計なことをしなければ、

「親中派ガー」などと言うこともなかったのです。

さらに余計なことに、



A級戦犯合祀問題ーWikipedia

wikiA級戦犯合祀問題


太平洋戦争(大東亜戦争)後の極東国際軍事裁判(東京裁判)において処刑された人々(特にA級戦犯。ただし、合祀問題における「A級戦犯」には、判決前に死去した、つまり無罪の推定を受ける人物も含まれる。この点については昭和天皇は判決前に病死した松岡洋右と有罪判決後に獄中で病死した白鳥敏夫を同列に問題視している)が、1978年(昭和53年)10月17日に「昭和殉難者」(国家の犠牲者)として靖国神社に合祀されていた事実が、1979年(昭和54年)4月19日朝日新聞によって報道され国民の広く知るところとなった。


ダメリカは宗教人脈を使って、国際法を捻じ曲げて

ゴリ押ししたA級戦犯を靖国神社に合祀させましたが、

当初は誰も騒がなかったので売国新聞を使って日本国内で

騒がせることで問題化させましたが、これも日本側が

その時々の都合によって参拝を行うことで、

ダメリカ・中国双方にダメージを与えることになりました。




ここまで見てきたように、ダメリカは己の無能ゆえに

戦後も同盟国日本を敵視してきました。

その結果、日本では田中角栄~竹下登~橋本龍太郎など、

けっこう対米協調的事績もあるのに親中と言われる政権が

続いたのは自業自得です。



無能なダメリカはついにサブプライムショックによって

崩壊への道を歩むことになります。

(つづく)




http://tenkomoriwotisure.blog.fc2.com/blog-entry-551.html

新年特集(後編)

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新年特集(中編)の1.~6.のうち、残っている

2.明治維新のとき、孝明天皇を殺害し、山口県の田布施町の大室寅之助を明治天皇としてすり替えた。
5.明治維新で修験者の勢力が皇室の後ろ盾を失ったので同和問題を作った。


を叩き潰しましょう。


自称高学歴の自称英語できる自称断腸ブザマ!!!!

でも書きましたが、

孝明天皇
孝明天皇
明治天皇
明治天皇
大正天皇
大正天皇
昭和天皇
昭和天皇


どの御真影もお顔立ちは似ています。

他にもいくらでも写真はありますが、見れば見るほど疑いようがありません。


2.もウソ確定です。



5.もウソですね。

1.&2.で、朝鮮部落の大室寅之助、まあ南朝の血筋と

言うなら言ってればいいんですが、

その人間が部落を牛耳っていたという修験者の勢力の後ろ盾を止めた?

ツジツマが合いません。

断腸は過去にこれを引用していますが、

tok靖国神社の黒い闇 A級戦犯合祀のホントの黒幕


矛盾していますね。これを根拠とするならば、後ろ盾は徳川で、

だからこそ大政奉還後に「徳川が」後ろ盾を止めた

(後ろ盾としての力を失った)、というのが正しい解釈です。

まあそもそも皇室は何の関係もありませんから

(輪王寺宮は何の根拠にもなりません)

論外でつね。



これで1.~6.すべて嘘であることが証明できました。

簡単な話ですが、孝明天皇の御所を取り囲んで

皆殺しにしたならともかく、顔を知っている近習や側近が

数多くいる中、皇太子を摩り替えることなどできるはずも

ないんでつね。


しかし考えてみましょう。なぜこんな嘘をつくのか。




すでに書いた

ぬかホルホル禁止法違反でタイーホ



連敗断腸は自分のピーをブッ刺すのがお好き

で、「鬼塚英昭」なる人物が「太田 龍」という

共産主義者とつながっていることを書きました。

共産主義と反皇室については

google検索:tenkomoriwotisure 共産主義

で記事を読んでもらえれば、

ダメリカが日本の混乱と洗脳を目的として

蔓延させたウィルスであることがわかると思います。


さらに、下記の鬼塚なる人間の著書で引用している

http://books.google.co.jp/books?id=VBKKzSmCiM8C&pg=PA400&lpg=PA400&dq=%E7%9B%8A%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%AE%9F+%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8F%B2%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%9D%A2&source=bl&ots=sMyLPPsQ2r&sig=v531F3MZXhdZ6q64H156sZfFMQo&hl=ja&sa=X&ei=YIbKUuiFA4jUkwXjtIDICg&ved=0CHMQ6AEwCQ#v=onepage&q=%E7%9B%8A%E7%94%B0%E5%8B%9D%E5%AE%9F%20%E5%A4%A9%E7%9A%87%E5%8F%B2%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%9D%A2&f=false

「益田勝実 天皇史の一面」という本を見てみると

益田勝実 天皇史の一面



「天皇制」という言い回しを使っています。

益田勝実ーWikipedia

wiki益田勝実


山口県下関市出身。東京大学文学部卒業、同大学大学院修士課程修了、法政大学に勤務、1967年に教授。1989年3月退職。


戦前生まれで学生運動だ左翼内ゲバだ安保闘争云々の

世の中を経験し、東大出て大学教授までやってるんだから

知らないはずがないでしょう。

天皇制ーWikipedia

wiki天皇制


「天皇制」という用語は「君主制」を意味するドイツ語 Monarchie のマルクス主義者による和訳。1922年、日本共産党が秘密裏に結成され、「君主制の廃止」をスローガンに掲げた。1932年のコミンテルンテーゼ(いわゆる32年テーゼ)は、共産主義革命を日本で行うため日本の君主制をロシア帝国の絶対君主制であるツァーリズムになぞらえ、天皇制と規定した。敗戦まで、「天皇制」という用語は反体制であるとみなされていた。


つまり、共産主義者の使う言葉を常用する思想の

人間、共産主義の影響を受けている人間だということです。


そして、これもすでに書いていますが、

日本を作った偉大な人間=神

ten知られざる゛同胞監視゛~GHQ・日本人検閲官達の告白


GHQは日本人を検閲官として、日本の通信を検閲しています。

実はこのとき検閲した人間が東大その他の知識層に

送り込まれています。

seaGHQ 日本人を検閲官に 東大




ここまで書いてきたことや過去の記事を総合すると、

「田布施システム」なるウソを吹聴する理由は、

「皇室の権威を貶めて求心力をなくし、その上で日本人を洗脳して

罪悪感を植え付けるダメリカの策謀」

だということでつね。


わかり松。

( ゜∀゜)・∵ブハ八ノヽ/ \!!!!!!!!



「後編」と言いながら、実はこれで終わりではありません。

最後の記事がありますのでお楽しみに。



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新年特集(中編)

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中編では「田布施システムガー」を粉砕しましょう。

まず、「田布施システムガー」がどういう戯言か。

1.山口県の田布施町と鹿児島県の田布施町は朝鮮部落である。
2.明治維新のとき、孝明天皇を殺害し、山口県の田布施町の大室寅之助を明治天皇としてすり替えた。
3.両方の田布施から総理大臣経験者が出ている。
4.田布施システムを仕組んだのはバチカンだ。
5.明治維新で修験者の勢力が皇室の後ろ盾を失ったので同和問題を作った。
6.戦後日本人が豊かになったので修験者が朝鮮人を引き込んで同和利権を作った。

もうちょっとありそうですがこの辺を叩けばグゥの音も出ないでしょう。

薩長土肥という順があるので、それに沿って話を進めましょう。



まずは薩摩です。

(薩-1)薩摩の朝鮮部落、田布施村から鮫島純也=小泉純也が出ている、だそうです。


小泉純也ーWikipedia

小泉純也1

小泉純也2


(薩ー2)東京大空襲を指揮した人間に旭日大綬章、ずいぶん親米ですねぇ。

(薩ー3)岸信介や佐藤栄作にも近かったようです。

(薩-4)朝鮮人を北朝鮮に帰還させています。

(薩ー5)息子の純一郎は平成13年に総理大臣になった。

とりあえず事績について番号を振ってみました。


さて、鹿児島の田布施は朝鮮部落だったんですかねぇ。

古地図や勧進帳を見れば一発でわかるはずなんですが、

それを証明してる人間がいないのはどういうことでしょう。

本当に朝鮮部落だったかどうかは、実は断腸が証明しています。

田布施システム@鶴と鸛
http://tokumei10.blogspot.com/2013/10/blog-post_29.html


に掲載されているこの写真。

田布施屯倉


朝鮮部落に年貢米を置くバカがいるか、ということでつね。

島津が朝鮮人陶工を置いたのは「鹿児島県日置市東市来町美山」で、

それ以外に朝鮮人を連れてきた記録はありません。

移動が規制されている中、20km以上も離れたところに

移住できるわけもありません。

よって1.の半分はウソ決定。


そして(薩-4)を見ると、朝鮮人を追い出しています。

小泉純也と鮫島正純は血縁で、金峰山の修験道とつながっており、

6.のように朝鮮人を引き込んだんじゃなかったでしたっけ?

しかも、これと同じ話で、吉田茂は「在日朝鮮人の全員送還を望む」

という書簡で朝鮮人を強制送還するようマッカーサーに要請している。

断腸は吉田茂がカトリックとつながっていると言っているが、

それならば6.だけでなく4.も完全にウソである。



次に長州です。

3.によると岸信介と佐藤栄作が総理大臣になっているから

田布施システムだそうです。


wiki第1次岸内閣

wiki第1次佐藤内閣


皆さんお気づきですかねぇ。

確かに総理大臣になってますよ。

でも、岸も佐藤も小泉も、全部「戦後」なんですよねぇ。

戦前に総理大臣になってるならまだ信憑性もありますが。

≪売国断腸の洗脳にかかってる皆さん必見!!! シリーズ その8≫

疑惑を解明してはどうだろうか

で書いたとおり、岸も佐藤もダメリカからカネもらってるんですよねぇ。

小泉は、最近の総理なのでみなさん覚えてると思いますが、

大量破壊兵器など発見されてもいないのにイラクに自衛隊を派遣したり、

ブッシュの別荘でプレスリーの歌をへたくそなくせに熱唱したりと

ダメリカべったりでしたよね。


つまり、百万歩譲って「田布施システム」なるものがあるならば、

それは4.は完全にウソであり、

「黒幕はバチカン」ではなく、「黒幕はダメリカ」

だということです。


さらに、上記「田布施システム@鶴と鸛」で引用している


> 零感と明治時代から引き継がれる「田布施システムの謎」 :: 零感雑記帳|yaplog!(ヤプログ!)byGMO via kwout
>日本の「戦後右翼」は岸さんが半島人を中心に組織したものだからなあ。

が事実ならば、それは

「ダメリカが岸経由でチョンを引き込んだ」

ということになり、これも6.がウソであることを補強しています。



次は土佐と肥前ですが、土佐に関しては特に

断腸叩きポイントもないのでスルーです。

肥前もポイントはないんですが、これを紹介しておきましょう。

多布施

map多布施


高知にはそれらしい名前はありませんでした。地名が変わったのかもともとないのかはわかりません。

まあ、断腸の好きそうな名前がちらほらありますが、

名前が同じだから怪しいなどというのはちゃんちゃらおかしいんでつね。


わかり松。

( ゜∀゜)・∵ブハ八ノヽ/ \!!!!!!!!


さて、まだ未解決の項目があります。

それは後編でお話ししましょう。





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