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【新年特集】ハーン2 (3) 完

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【新年特集】ハーン2 (2)

ではチョンが元に征服されたことを書いたが、

そもそもそのころのバカチョン半島は


どんな国だったんでせうか?



高麗-Wikipedia

wiki高麗100

wiki高麗200


高麗(こうらい)は、918年に王建(太祖)が建国し、936年に朝鮮半島を統一して、1392年まで続いた統一王朝である。都は開京。

西洋諸国の言語において朝鮮を表す「Korea」、「Coree」などの語源ともなった。

1368年に明が中国に興り、元を北に追いやる(北元)と、1370年に高麗は明へ朝貢して冊封を受けたが、国内では親明派と親元派の抗争が起こった。この間に倭寇や元との戦いで功績をあげ、台頭していた武人李成桂(女真族ともいわれる)は、1388年にクーデター(威化島回軍)を起こして政権を掌握し、1389年に恭譲王を擁立すると、親明派官僚の支持を受けて体制を固め、1392年に恭譲王を廃して自ら国王に即位し、朝鮮王朝を興す。ここに高麗は建国474年で滅びた。



語源については広く知られている話なので

ご存じでせう。


チョンを併合していた元が弱体化したところで

クーデターが起き、チョン鮮ができたわけ


でつね。


それはどういうことか?


元に併合されていた時代の国名に由来する

「(South)Korea」を今も


嬉々として使っているのが下等生物、

元から独立した後の名前を使っているのが


北チョンだということでつね。


それはいま支那地区が通貨として「元」を


使ってるのと同じように、テメェらの立場を

如実に表してるわけでつね。



つまり、対可汗一味という視点で見ると、

チョンがけしかけた元寇で元と戦った日本と


元を駆逐してできた朝鮮は同じ側、

「ハーン」で書いた通り元の後継国家で


通貨にも「元」を使う支那地区と

元に併合されてた時の名前を使う下等生物は


完全に敵対関係だということなんでつね。


下等半島にKoreaは不要、


朝鮮、朝鮮、そして朝鮮あるのみでつね。




さて、チョンといえばエラ。


前回「頭蓋変形」について書いたわけだが、

人工的にフライパンで叩きつけた顔にするほど


なので、変形させなければ前後方向に長い顔だと

思われるわけでつね。



それを裏付けるのがこれでつね。



頭型-Wikipedia

wiki頭型101


白色人種群では北方人種と地中海人種が長頭から中頭、アルプス人種が短頭、黄色人種群では古モンゴロイドに長頭が多く、新モンゴロイドに短頭が多い、黒色人種群では長頭が多いという具合である。


古モンゴロイド-Wikipedia

wiki古モンゴロイド102


日本においては、縄文時代の住民(縄文人)は主に古モンゴロイド系であったと言われるが、その後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられた。



フン族・タタルは当然古モンゴロイド。

縄文人と近いアイヌや琉球人も同じで、


頭が前後方向に長かったわけでつね。


読者の方はたいてい前後方向には長くないと


思うが、ご自分の顔を前後方向に伸ばしたら

どんな顔になるか想像できるでせうか?



頬骨が出っ張って、ほっぺたの部分がくぼみ、

エラが強調されて見えるんじゃないでせうか?


そう、いわゆるチョン顔の特徴でつね。


でも長頭型は縄文人の特徴でもあるわけで、


当然日本にもいるわけでつね。



部落の起源論争-Wikipedia

wiki部落の起源論争103

wiki部落の起源論争203

wiki部落の起源論争303

wiki部落の起源論争403


古代の賎民身分である五色の賤に近世以降の被差別民の起源を求める説であるが、昭和20~30年代に入ってからは同和団体からも主張されるようになり、後述の異民族・異人種起源説も含めれば今日の主流の見解と言っても過言でない。[要出典]松本治一郎の、「貴族あるところ賎族あり」「部落民へのいわれの無い差別を生んだ物は皇族へのいわれの無い敬意に他ならない」といった発言などから、天皇制の確立なかんずく大和朝廷による異民族制圧が賎民層の起源である、と言う考えもその一種とみることができる。部落の中には、松本の「神武と戦った」の他、「鬼の子孫」などの伝承が残る部落も少なくないが、鬼とは一般的には縄文人の子孫あるいは蝦夷といった異民族を指すというのが今日の見方である。

大阪大学教授の小浜基次(人類学者)が西日本の被差別部落を広島辺りまで調査したところ、西日本の一般民は朝鮮半島に多い短頭型であるのに対し、被差別部落民の頭型は東北や裏日本に多い中頭型であることが判明したという。

この説は、部落解放の父と呼ばれた松本治一郎から「我々の起源は神武時代である。神武が南方に於て戦に負けて逃げて九州に流れ着いた。九州の先住民よりも武器が優秀である。神武の画を御覧なさい。長い刀をさし、弓を持って居ります。……我々の先祖は征服された」と支持された。

賀川豊彦は「穢多の間に美人が多いことは誰も認めて居る処である」と述べ、被差別部落民のコーカソイド起源説を唱えた。

また、戦後になると、大阪大学教授の小浜基次(人類学者)が、形質人類学により、47の被差別部落を含む全国的な調査を行ったが、被差別部落民は周辺地域と比較して中頭型の性質を示したという。短頭型の朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区内においてはもとより、一般集団との差異が少ない地域においても、被差別部落民は周辺地域の人と比較して長頭の傾向があったという。

沖浦和光は岩上安身によるインタビューの中で「すべての先住民のなかで蝦夷が、ヤマト朝廷の侵略に抵抗して、最も粘り強く果敢に戦った」「戦いに敗れた蝦夷の戦士たちは俘囚として連行され、西日本各地に配流されてその一部は賤民とされました」と述べている。沖浦によると、インド伝来のケガレ思想が、中世以降、蝦夷への差別に影響したという。



はい来ました松本治一郎(縛w

古参の読者はご存知でつね。

ten松本治一郎104

ten松本治一郎204

ten当時の共産党機関紙『アカハタ』の鳩山攻撃記事と、GSの発表した説明とが酷似していた304

ten日本のマスコミに共産主義を拡めたのはマッカーサーだった404
≪売国断腸の洗脳にかかってる皆さん必見!!! シリーズ その7≫⇒こちら


GHQが必死に擁護した松本治一郎。

テメェで縄文系だといって言説を展開してる


わけでつね。

で、長頭の傾向があった、と。



つまりGHQは「ウリは可汗一味の血縁ニダ!」

と喚いたヤツを守り、利用したわけでつね。


そしてGHQはアカの巣窟。

アカやせんべいがチョンにナマポ利権を誘導して


いるのは、そもそもはBから始まり、

そのスキームをチョンに拡大させていったという


ことなんでつね。


Bといえば革職人。


革職人のパラダイスといえばエ下劣。


エ下劣・ダメリカ・アカ・B・チョンってのは


こういう風につながってるわけでつね。


うちがよく「戦後エ下劣が日本を汚染した」と


書くのは、戦後GHQとして入り込んできた

エ下劣とダメリカが、縄文系の人間を使って


少数民族による間接支配を目論んだからであり、

それは戦前には絶対できなかったこと


なんでつね。


ちなみに、上記ウィキペの記述にある「主張」


には肝心なところにウソが混じってるようなので

100%真に受けてはならないでつね。




前回は「チョン国が元から独立したときに

嘔毛の中には逃げたヤツもいるだろう」と


書いたわけだが、どこに逃げたんでせうね?

革職人がエ下劣に行ったならチョンも行けなくは


ないでせうな。


まあそれはいったん置いといて、上記でエ下劣が


出てきたのでエラ相な公爵の話でもしませうか。



アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)-Wikipedia

wikiアーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)105

wikiアーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)205

wikiアーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)305
機雷をしきせつ!(縛w


アイルランド貴族の初代モーニントン伯爵ギャレット・ウェズリーの三男としてアイルランド王国首都ダブリンに生まれる。イートン校に通った後、フランスの士官学校を卒業する。1787年にイギリス陸軍に入隊。1794年にはフランス革命戦争のベルギー・オランダ戦線でイギリス軍の退却作戦を支援して活躍した。これが初めての実戦経験となった。

1796年にイギリス東インド会社が支配するインドへ派遣され、同じ頃にインド総督となった兄ウェルズリー侯爵のもと、インド征服戦争の指揮を執った。1799年のマイソール王国侵攻(第四次マイソール戦争)、1803年の対マラータ同盟戦争(第二次マラータ戦争)などで戦功をあげた。



オヤジはギャレット・ウェズリーというんか。

そしてアニキがおるんか。


インド総督とか(縛w

つまりインド人を奴隷にして、搾取・収奪・強奪


してたヤツだということでつね。


アニキの方は既出でつね。


wikiリチャード・ウェルズリー (初代ウェルズリー侯爵)
昔の名前で出ています(縛w⇒こちら


イアサントとの間に生まれたアン・ウェルズリーは、エリザベス (ジョージ6世妃)の先祖



つまりエ下劣BBAはエラ相な公爵のアニキの

血を引いているということでつね。



ギャレット・ウェズリー (初代モーニントン伯爵)-Wikipedia

wikiギャレット・ウェズリー (初代モーニントン伯爵)106

wikiギャレット・ウェズリー (初代モーニントン伯爵)206


初代モーニントン伯爵ギャレット・コリー・ウェズリー(英: Garret Colley Wesley, 1st Earl of Mornington、1735年7月19日 - 1781年5月22日)は、アイルランドの貴族、音楽家。

1735年7月19日に後に初代モーニントン男爵(英語版)となるリチャード・ウェズリー(英語版)とその妻エリザベス(旧名セール)の間の長男として生まれる。

ダブリン大学トリニティ・カレッジを卒業。

フリーメイソンで活躍し、トリム・ロッジNo.494のマスターを務めた後、アイルランド・グランドロッジ(英語版)のグランドマスターとなった。




トリニティ・カレッジ(縛w

ツッコみどころは後回しにしませうか。


こいつのオヤジは英語版にしか記載がない。



Richard Wesley, 1st Baron Mornington-Wikipedia

wikiRichard Wesley, 1st Baron Mornington1

wikiRichard Wesley, 1st Baron Mornington2


Richard Colley (as he was christened), was born around 1690, the son of Henry Colley (died 1700) and Mary, daughter of Sir William Ussher. He graduated from the Trinity College, Dublin with an BA in 1711 and an MA in 1714. In the intervening year he held the office of Chamberlain of the Court of Exchequer (Ireland).

On 23 September 1728 Colley inherited the estates of Dangan and Mornington, in County Meath, on the death of his cousin, Garret Wesley. Less than two months later on 15 November 1728 he legally changed his surname to Wesley.

The Colley or Cowley family had come to Ireland from Rutland about 1500; Sir Henry Colley (died 1584) married Catherine Cusack, whose grandmother was a Wellesley.[citation needed]
(リアル和訳:ヘンリー・コリーの息子。トリニティ・カレッジ卒業。いとこのギャレット・ウェズリーがタヒんだのでモーニントン男爵家の財産を継ぎ、名前もウェズリーに変えた。コリーまたはカウリー家は1500年ごろラトランドからアイルランドに来た。)



ツッコみどころは後回しにしませうか。

いとこがタヒんで貴族の家柄が転がり込んできた


わけでつね。


1500年ごろの先祖がわかってるようでつね。



Robert Cowley (judge)-Wikipedia

wiiRobert Cowley (judge)1

wiiRobert Cowley (judge)2


Robert Cowley, or Colley (c. 1470-1546) was an English-born judge in sixteenth-century Ireland who held the office of Master of the Rolls in Ireland. He is now chiefly remembered as a possible ancestor of the 1st Duke of Wellington.

Despite his family's later eminence, Robert's background and early life are poorly recorded. He is generally thought to have been the brother or the son of Walter Colley of Glaston in Rutland; the Colley family is recorded there from about 1400.
(リアル和訳:ロバート・カウリーまたはコリーはウェリントン公爵の先祖で、その家は1400年ごろからの記録がある。)



おっや?

1400年以前の記録がないとはいかに?(縛w


さてツッコみどころにツッコみませう。

ここから総仕上げの始まり。



「コリー(Colley)」って

なんじゃい!!!!(縛w


さっき貼ったばっかりだから覚えてるでせう。

wiki高麗107

wiki高麗207


Coree
1388年にクーデター

wiku高109


ko

wiku麗110


lii

ten秦から来たから秦氏、日本から来たからハポン108
【新年特集】ハーン2 (2)⇒こちら


秦から来たから秦氏、

日本から来たからハポン、


であれば、高麗から来たなら

kolii→Colley

になるでせうな。



1388年のクーデターで逃亡したんなら

1400年より前の記録があるわけないでつね。



状況証拠からしてエラ相な公爵の先祖はチョン、

エ下劣BBAの先祖もチョン、ってことでつね。



モンゴル帝国とうまいこと姻戚関係を結んだ

ように、エ下劣とも血縁だったということ


なんでつね。


これがエ下劣+ブサヨ+チョンの真実でつね。


お茶屋の飼い主のエラ相な公爵、その出身地の

下等半島にお茶屋が肩入れするのは当然のこと


なんでつね。


国力からすれば小指の先で捻り潰せるはずの


下等生物に対してアメリカが腫物を扱うように

しているのはこういうことなんでつね。



だから可汗一味を叩き潰すにはその根っこである

下等生物を叩き潰さなければならないんでつね。


我々は下等生物に何一つ譲歩してはならないし、

譲歩したかに見せて実はその先の策略を練る


わけでつね。


そして「従北勢力」なる連中を重用して


慰安婦捏造で下等半島を攪乱・分裂させている

下等BBAは優秀な工作員なんでつね。



そしてこないだの合意がゆるゆるな理由は、

可汗一味が滅亡するまで慰安婦カードを消滅


させるわけにはいかないということなんでつね。



いかがでしたでせうか。


今起こっていることは元寇やその後の高麗滅亡

からの因縁が深くかかわっているということ


なんでつね。

わかり松。

( ゜∀゜)・∵ブハ八ノヽ/ \!!!!!!!!



【新年特集】ハーン2 終わり



まじめに書いてたけどやっぱり遅くなってしまいました。

ごめんなちいm(__)m

明日の朝までは、8:00の記事をお休みします。

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凄い。またしても鳥肌がたちました。多々の面で合点がいきました。
こんな有用なブログ、他にありませんよ。
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