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日本人の項羽をdisる盗聴サマナ

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失敗者なのに!?なぜ日本人はこの中国人が好きなのか?―中国ネット
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20161203/Recordchina_20161203024.html

news失敗者なのに!?なぜ日本人はこの中国人が好きなのか?―中国ネット


2016年12月3日、中国のポータルサイト・今日頭条が、なぜ日本人は項羽が好きなのかについて分析する記事を掲載した。

記事は、日本のネットユーザーが選んだ好きな歴史上の人物トップ20について紹介。1位が織田信長、2位が坂本龍馬、3位が源義経だったが、4位に曹操、9位に諸葛亮、15位に項羽が入った。

記事は、曹操や諸葛亮の人気は理解できるものの、項羽は優柔不断で大事を成せない失敗者だという見方があることを指摘し、項羽が日本人に人気なのは多くの中国人にとって疑問だとした。

ではなぜ日本で項羽の人気が高いのか?その理由について記事は、日本には武士道精神があり、強者を崇拝する傾向があるためだと分析。大軍を相手にしても少数の軍で勝利するその強さが、日本人の目には項羽こそ最強と映り、項羽こそ武士道精神を反映しているからだとした。

これに対し、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。

「無頼者の劉邦よりはずっといいに決まっているだろ」
「俺も項羽には敬服する。自分の力で秦王朝を倒したんだ。結果的に劉邦という小人にやられたが」

「劉邦が項羽を倒して以降、中国には真の英雄的貴族がいなくなったと思う。その後の中国は完全に政治の中国になった」
「劉邦が勝った。これがわれわれの価値観だ。どんな手段だろうと勝てば官軍で称賛される」

「真の英雄が嘘っぱちな小人に勝てないのがこの社会」
「劉邦は小人ではない。真の英雄で小人に見せかけただけだ。項羽はストレートな性格だが、疑心暗鬼が激しく、無辜の人をたくさん殺した」(翻訳・編集/山中)




楚 (春秋)-Wikipedia

wiki楚 (春秋)

wiki楚 (春秋)2


楚の成立に関しては、漢民族の母体となった広義の黄河文明に属する諸族が移住して成立したとする北来説と、それとは異質な長江文明の流れを汲む南方土着の民族によって建設されたとする土着説がある。楚の成立に関してはさまざまな仮説があるものの、いまだに定見も有力説も定まっておらず、民衆および支配層がいかなる民族であったのかは解っていない。

北来説の中で有力視されるものに、現在の河南省から山東省南部に分布していた東夷が楚を建国したという説がある。また土着説では、湖北から湖南・貴州省に点在するミャオ族の祖先が楚を建国したという説が有力視されているものの、どちらも有力な証拠はまだない。近年、楚墓発掘の進展で、おおかたの埋葬が王族庶民を問わず周様式の北向き安置ではなく南を向いて安置されており、当時の中国では珍しい形式であるため、土着ではないかとする説がやや有力になっている。

江南諸国は周を中心とした中原諸国から蛮族として蔑まれたが、前史時代から文明を持っており、中原諸国とは異質な建築物や生産様式を有した文化であった。周の建国から少し経ったころに周の史書に現れはじめる(周の史書に記録された国々があった地域から発見された建築物や陶器等の多くは周の様式であるため、明らかに周文化に属する王族や貴族が地方へ封建され建てられた国であり、周囲の土着勢力や楚の祖先と同質かどうかは解らない)。

20代目の懐王の時代、圧倒的な強国となってきた秦に対しどう当たるかで親秦派と親斉(田斉)派に家臣は二分した。親斉派の筆頭は屈原であり、懐王に対し秦は信用ならないことを強く説いたが、親秦派の後ろにいた秦の宰相・張儀の策略により屈原は失脚し、地方に左遷された。諌める者がいなくなった懐王は張儀の策略にいいように踊らされ、最後は秦に幽閉されて死去した。

その後も秦の攻勢は強くなる一方で、紀元前278年に白起により首都の郢を陥され、陳に遷都した。

その後は春申君の主導の下に楚・魏・趙などの連合軍が秦へ出兵したが失敗し、寿春へ遷都した。春申君が死ぬとまともに国政を執れる者がいなくなり、秦の王翦将軍に項燕(項羽の祖父)が敗れ、最後の王負芻は捕虜となる。秦に仕えていた昌平君が項燕に奉じられて楚王と名乗るが、秦軍に鎮圧され、紀元前223年に滅びた。



端午-Wikipedia

wiki端午


この日を端午とする風習は、紀元前3世紀の中国、楚で始まったとされる。楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家であったが失脚し失意のうちに汨羅江に身を投げることとなる。それを知った楚の国民たちはちまきを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制したのが始まりと言われている。



項羽は支那地区人じゃなく日本人!!!!

今の支那地区とは別物!!!!



さて、一つ前の記事に書きそびれた

支那地区ネタでつね。


rirerki垓下の戦い

rirerkikouu.jpg


うちらが内々に項羽について調べてたら

「項羽ガー!」と喚き始める


支那地区!!!!(縛w

せんべいの飼い主、支那地区!!!!(縛w


盗聴サマナのクズ共は全部つながってるんです

よ(縛w



で?項羽が「15」位?(縛w

最近15歳になられた方がいらっしゃいました


なぁ!!!!

( ゜∀゜)・∵ブハ八ノヽ/ \!!!!!!!!



こないだ三国志について書いたが、読者の大半が

興味ないであろうにも拘らず書いたのは、


三国志的智略・謀略・策略がリアル分析の根底に

あるからでつね。



もちろん三国志だけってわけではないが、三国志

は国と国との合従連衡、今の世に通じないわけが


ないんでつね。

わかり松。

( ゜∀゜)・∵ブハ八ノヽ/ \!!!!!!!!


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No title

苗族

苗族が侵入した長江中流域は倭族の地であるが、苗族自体は倭族にあらず(ここでいう倭族とは、長江文明を築いた広い意味での倭族系統民族)。苗族は前2500~2400年に黄河中流域から南下した民族で、以後いくら移住を繰り返して倭族の隣村に住んでも、土間式住居で暮らし、高床式住居生活はしないとのこと。

鳥越憲三郎著「古代中国と倭族」(中公新書)中の「長江文明の検証」特に「苗族の南下と王国の滅亡」を参照されたし。

No title

追記
著者 1914(大3)‐ 2007
ウィキにはなぜか出ていませんが、倭族について深く研究した人です。
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