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【新年特集】ハーン3 ~対立の根源と神の天皇(前編)~

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猿人ルーシーは「木から落ちて死んだ」 320万年後についに死因特定か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160922-37436826-bbc-int

news猿人ルーシーは「木から落ちて死んだ」 320万年後についに死因特定か


ジョナサン・ウェッブ、科学担当記者

「ルーシー」の愛称で知られる人類の祖先は、どこかとても高い場所、おそらく木の上から落ちて死んだのではないか。そんな可能性を示す新たな証拠が見つかった。

ルーシーの骨をコンピューター断層撮影(CT)スキャンで調べたところ、現代人が木から転落した時と同じような損傷があることが分かった。

ルーシーは320万年前に生存していた人類の祖先。化石は木の生えた低地で発見されたことから、死ぬ直前は枝の上にいた可能性が高いとみられる。

ルーシーに代表されるアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)は生活の少なくとも一部を樹上で送っていたと考えられてきた。今回の発見は、その説を裏付けることになる。

米国とエチオピアの共同チームが英科学誌ネイチャーに、ルーシーの死の原因は「垂直減速事象」、つまり転落の衝撃だったとする論文を発表した。

研究チームはとりわけ、粉々に砕けたルーシーの肩関節に注目している。現代人が転落から身をかばおうと腕を伸ばした時にも、同じようなけがをする。このほか足首や脚、腕の骨、骨盤、肋骨(ろっこつ)、脊椎(せきつい)、あごや頭がい骨も折れていた。

筆頭執筆者のジョン・カッペルマン教授(米テキサス大学オースティン校)は、「実際にその場にいて見たわけではない。しかし(ルーシーの骨から)確認した骨折の様子は、高所から転落した患者に関する整形外科分野の膨大な報告例と完全に一致する」と話す。

「地球上のあらゆる救急救命室で日々検証されている内容だ」

ルーシーの化石は1974年、エチオピアのアファール地方で発見された。骨格の4割が残る、世界でも指折りの有名な化石だ。身長110センチ前後で、死亡した時はまだ大人になったばかりだったとみられている。

ルーシーが属するアファール猿人は地上を直立歩行していた形跡があり、サルのように足で枝をつかむことはできなくなっていた。一方で、上半身はまだ木登りに適した骨格を残していた。

限られたチャンスを生かして

ルーシーの骨はこれまでにも詳しく研究され、多くの化石と同じようにあちこち折れていることが分かっていた。だが高解像度のCTスキャナーなど最新機器を使うことによって、研究チームはどの骨折が生前のけがで、死後数百万年の間にどこが折れたのかを判別できるようになったのだ。

「ルーシーの骨が折れているのは、発見当時から分かっていた」と、カッペルマン教授はBBCニュースに話した。「私も30年前からルーシーの化石を見てきて、骨折があることは知っていた」

教授のチームがルーシーの骨をスキャンするチャンスを得たのは2008年、ルーシーが全米で巡回展示された合間のことだった。

「エチオピア政府から許可を得られたので、テキサス州ヒューストンでの展示が終わった後、ルーシーをここテキサス大学のキャンパスへ運び込んだ。安全上の理由から作業は秘密裏に進めた。ここには高解像度のCTスキャナーがある」

「全てをくまなくスキャンした。24時間態勢で10日間、休みなく作業を続けた」


この貴重なスキャンデータがなければ、ルーシーのけがの真相が明るみに出ることは決してなかっただろうと、教授は言う。

「CTスキャンを使うと、石化した岩石や骨の内部を見ることができる。愛するルーシーも、今では石と化している。完全に石化している」

重篤な外傷

スキャナーで骨の内部を詳細に調べた結果、生きている健康な体にのみ起きる「若木骨折」がいくつか見つかった。骨がしなやかな小枝のように折れ曲がった状態だ。

つまり、ルーシーはまだ生きている間にけがをしたということになる。しかし治り始めた様子はないため、この不運な出来事はルーシーの死亡時に彼女を襲ったことがうかがえる。

転落死の説は、ルーシーは第一肋骨が折れている。これも転落死の説と合致する。第一肋骨は小さくてしっかり保護されているため、「これが折れるのは相当運が悪い」と、カッペルマン教授は説明する。

「肋骨が折れても、第一肋骨が折れることはめったにない。胸部に重度の衝撃が起きないと、ありえない」

だが最大の手掛かりは、ルーシーの上腕部の骨が粉々に折れていることだ。

「我々の仮説が正しければ、これはルーシーに意識があり、転落の衝撃を避けようと腕を伸ばした証拠だ」

研究チームはさらに、スキャンデータを使ってルーシーの上腕骨の3Dプリントを製作し、整形外科医に意見を求めた。今のところ全員が同じ意見だという。

「現時点で9人中9人だ」と、カッペルマン教授は言う。骨の専門医に事情を知らせないまま意見を聞いた。現代人の骨らしく見せるため、3Dプリントの模型を拡大する工夫までしたという。

「これは高所からの転落だという見解で全員が一致した」

実を言うとルーシーに関心を持つ人なら、今ではだれでも3D印刷でルーシーの骨が再現できる。研究チームがエチオピア政府と提携し、ファイルをオンラインで公開したからだ。

「エチオピア政府が、ルーシーの右肩と左ひざの3Dファイル公開に同意してくれた。興味がある人は自分でルーシーをプリントアウトして、骨折の状態や我々の仮説を検証してみることができる」

全くあり得ること

カナダ・アルバート大学の人類学教授、ナンシー・ラベル博士はこの研究結果について、意外だが説得力があるとの見方を示す。

ラベル博士はBBCに対し、「突拍子もないように聞こえるが、チームの解釈の反証材料は何もない」と語った。「非常に質の高いコンピューター画像を使っていることも評価できる」。

「ひとつひとつの部分を見ると、まったくあり得ることに思える」

ただし、木の高さや落下速度の正確な数字については疑問を投げ掛けている。テキサス大主導の研究チームはルーシーが高さ12メートルから時速60キロで落ちたと推定しているが、ラベル博士は「転落事故は死につながる。はしごから落ちて頭のけがで亡くなる人もいる。それほど高い木だった必然性はない」と指摘。

「とはいえ、ルーシーの生活圏に当時木が生えていたと考えられているのは確かだ」

ロンドン自然史博物館のクリス・ストリンガー教授は、ルーシーは木から落ちたのだという見解は、アファール猿人の暮らしぶりに関するこれまでの通説と、うまく合致すると話す。

「アファール猿人は食事や巣作り、あるいは外敵から身を守るために木の上で過ごすことがあったとも考えられる」と、ストリンガー教授。

「例えばルーシーに子供がいたと想定すると、外敵が近くにいる時は地面より木の上の方が安全だったはずだ」。

(英語記事 Early human ancestor Lucy 'died falling out of a tree')




初期ネアンデルタール人、複雑な地下構造物を建造 研究
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160526-00000008-jij_afp-sctch

news初期ネアンデルタール人、複雑な地下構造物を建造 研究


【AFP=時事】(写真追加)知能が低く、動物同然だと長年考えられてきた旧人類のネアンデルタール人だが、17万6500年前には儀式目的とみられる複雑な地下構造物を、火明かりの中で建造していたとの研究論文が25日、発表された。現生人類の絶滅した近縁種であるネアンデルタール人の、より知的な一面を垣間見る研究結果だ。

 英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された論文によると、ネアンデルタール人は、洞窟の内部に石筍(したたり落ちた水滴中の炭酸カルシウムが沈殿・堆積したもの)の断片を膝くらいの高さまで、塀のようにいくつも積み上げていたとされる。一部には、不完全な円形のものもあったという。

 構造物があるのは、仏南西部ブルニケル(Bruniquel)洞窟の入り口から300メートル以上の奥深い場所で、6個ある構造物の大きさは、それぞれ幅7メートルほど。これらはすべて、現生人類ホモ・サピエンス(Homo sapiens)が初めて欧州に到達する数万年前に作られた。

 論文の共同執筆者で、仏ボルドー大学(Bordeaux University)のジャック・ジョベール(Jacques Jaubert)氏は、AFPの取材に「ネアンデルタール人は、創意に富み、創造的で、器用、そして(その組織は)複雑だった」と語る。「フリント石器を作ったり、食べるために獲物を殺したりすることだけに専念している粗野な存在ではなかった」

 これらの構造物の年代を測定した結果、ヒト属の一種が初の洞窟探検を行った年代が、知られている限りで数万年さかのぼることになった。そして、この結果により、ブルニケル洞窟内の塀は、これまで知られている中で最古の人間による構造物の一つに位置付けられた。

 今回の研究を行った国際研究チームによると、ネアンデルタール人は、石筍の柱を壊して、大きさがほぼ均一な断片を約400個作製したという。断片をすべてつなぎ合わせると、長さが112.4メートルになり、総重量は約2.2トンに及ぶ。

 これは、ネアンデルタール人が集団で作業する方法を理解していたことを示唆するものだ。

■唯一の存在

 石筍の断片の中からは、火の痕跡と焦げた骨のかけらも見つかっている。

 研究チームは「初期のネアンデルタール人は、この時代に欧州に住んでいた唯一のヒト属集団だった」と論文に記し、彼らを「世界初の洞窟探検家」と称した。「今回の研究結果は、ネアンデルタール人の社会に近代的な要素が含まれていたことを示唆している。これらの要素が、従来考えられていたより早い時期に現れたことが、これで証明できる」

■儀式用か?

 今回の研究では「これらの構造物に関与したネアンデルタール人の集団が、これまで考えられていたより複雑な、ある程度の社会組織を持っていた」ことを主張している。

 1992年に最初に発見され、最近に再調査が行われたこの石筍建造物の機能については、まだ推測の域を出るものではない。

 初期人類が使用した洞窟の他の事例に基づくと、この石筍建造物が象徴的または儀礼的な目的で使われていたことは「推測可能」と、論文の執筆者らは指摘する。だがその一方で、日常生活での使用、あるいは隠れ家として使用された可能性も否定できないという。

「最も驚かされたのは、自然光から遠く離れた、洞窟の非常に奥深くまで探索する能力を、ネアンデルタール人が持っていたことだ」とジョベール氏は話す。

「日々の生存という目的を超越し、道を照らすために火を用いながら厳しい地下の環境に立ち入る能力が、ネアンデルタール人にあったことの証拠を、今回の研究が提供していると考えている」




最もネアンデルタールに近いのは日本人? 免疫システムに残る人類の歴史
http://sciencenews.co.jp/2016/02/22/post-1042/

news最もネアンデルタールに近いのは日本人? 免疫システムに残る人類の歴史


多くの人を悩ます花粉症。その原因は免疫システムの暴走だが、免疫システムの一部がネアンデルタールからの「プレゼント」だと判明した。

 とうとう今年も花粉症の「季節」がはじまった。2月にはいると首都圏でもスギ花粉が観測されはじめ、ドラッグストアでは対策商品の陳列に余念がない。

 花粉症を含めたアレルギーは、もともと体に侵入した細菌やウィルスなどから体を守る免疫システムが過剰に反応しておこる。

 花粉症も大変だが、生物が生きていくには欠かせないシステムである。この免疫に関わるいくつかの遺伝子はネアンデルタール人とデニソワ人からの「プレゼント」だったと今年の1月に明らかになった。

 遺伝学の科学誌「The American Journal of Human Genetics」で独の研究チームが発表した。日本人の遺伝子の中にネアンデルタール人が「潜んで」いる。

ヒトはネアンデルタール人を滅ばして今の繁栄を築いた。独・マックスプランク研究所のJanet Kelsoのチームは現代人の遺伝子の中に、ネンデルタール人やデニソワ人との交配によって残り続けている「彼ら」の遺伝子をさがしていた。

 人類の進化でエポックメイキングな最近の発見といえば、ヒトが絶滅させたと考えられているネアンデルタール人と人間が交配していたことと第3の人類デニソワ人の発見だ。

 この3種は50万年前に共通祖先から分かれたと考えられ、ネアンデルタール人はヒトより数十万年前にアフリカを出て主にヨーロッパに広がった

 研究チームが目をつけたのがTLRの遺伝子。これまでの研究データもとにピックアップした。TLR(Toll Like Receptor)は細胞の表面にニョキニョキと生えているタンパク質。免疫で非常に重要な役割を果たす。

 体を外敵から守るには、まず外敵の侵入を関知しなくてはならない。この防犯センサーの役割を担うのがTLRというタンパク質なのだ。

 体内に侵入した細菌や菌類、寄生虫の一部がこのTLRにくっつくとセンサーが作動し、外敵をやっつける細胞が集まったりと、さまざまな免疫システムが動く仕組みだ。

 複数あるTLRのうちTLR1とTLR6、TLR10は染色体上に隣接している。ネンデルタール人やデニソワ人の3つのTLRを含む領域を現代人と比較する。

 ヨーロッパ人と東アジア人、アフリカ人など現代人の14集団のこの領域を調べると7つのタイプに分類された。このうち2つがネンデルタール人由来、ひとつがデニソワ人由来だと判明する。


 理論的にはヒトより数十万年先にアフリカを出て、中東を経由してヨーロッパに広がったネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカに残った祖先由来のアフリカ人には存在しない。

 調べると、確かにアフリカ人にはネンデルタール人由来のTLRを含む領域がほとんどみられなかった。


 このように、現代人のTLRを含む領域のゲノム配列を詳細に調べ比較してネンデルタール人とデニソワ人由来だと突き止めた。

 そして、機能が非常に重要性なので、数万年という自然選択を受けてもほとんど変わらずに高頻度で残っていたと考えた。

 実はこのネアンデルタール人由来のTLR1とTLR6、TLR10遺伝子を最も多く持つのが日本人。どの集団よりも高く、約51%が持っていた。

 花粉症の最大の要因にTLR1とTLR6、TLR10が直接関与するわけではないが、免疫システムを通して人類の壮大な進化を想像し、内なるネアンデルタール人を思うことで少しは症状が軽くなるかもしれない(そんなことはありません)。




縄文人は東アジア人と比べ、遺伝的に特異な集団だった!
http://newsalt.jp/science/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E4%BA%BA%E3%81%A8%E6%AF%94%E3%81%B9%E3%80%81%E9%81%BA%E4%BC%9D%E7%9A%84%E3%81%AB%E7%89%B9%E7%95%B0%E3%81%AA%E9%9B%86%E5%9B%A3

news縄文人は東アジア人と比べ、遺伝的に特異な集団だった!

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国立遺伝学研究所および総合研究大学院大学の斎藤成也教授らは、福島県北部にある三貫地貝塚から出土した3000年前の縄文人の奥歯からDNAを抽出し、核ゲノムの一部について解読に成功。縄文人が現代の東アジア人と比べて遺伝的に特異な集団であったことが明らかとなった。これまで縄文人のDNAは、ミトコンドリアDNAの情報しか得られていなかった。今回はその数千倍にあたる核ゲノムのDNA配列1億1500万塩基対を決定した。この研究成果は、日本人類遺伝学会の英文論文誌『ジャーナル・オブ・ヒューマンジェネティックス』電子版に掲載された。

このゲノム情報を現代人と比較したところ、大きくアフリカ人、西ユーラシア人、東ユーラシア人にわかれる中で、縄文人は東ユーラシア人にもっとも近かった。縄文人と東ユーラシア人だけで比較したところ、ヤマト人(東京周辺に居住する日本人)は縄文人と中国人(北京周辺に居住する中国人)の中間に位置し、ヤマト人はこれら2集団の混血であるといえる。さらに、日本列島3集団(アイヌ人、オキナワ人、ヤマト人)と中国人を比較した場合、縄文人はアイヌ人にもっとも近く、ついでオキナワ人、ヤマト人、中国人の順となった。

縄文人が現代人の進化的多様性の中でどこに位置するのかを推定するために、東ユーラシアの現代人5集団、西ユーラシアの現代人5集団、パプアニューギニア人、南米先住民、アフリカの現代人2集団のほかに、シベリアの古代人2個体とデニソワ人も加えた系統樹を作成した。その結果、東ユーラシアの現代人5集団がひとつのグループにまとまり、それらの共通祖先集団と南米先住民がまとまった後に、縄文人、パプアニューギニア人、シベリアの古代人1がこの順でグループに加わった。

南米先住民より縄文人が後ということは、新大陸に人類が渡っていったとされる1万5000年ほど前よりもさらに前に縄文人の祖先集団は分岐したということであり、きわめて古い系統であることを物語っている。
また、縄文人の系統からヤマト人への混血があったことも推定され、ヤマト人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は15%程度であることが明らかになった。

今回、縄文人の核ゲノムの一部が解読されたことによって、縄文人が現代の東アジア人と比べて遺伝的に特異な集団であったことが明らかとなった。今後、縄文人ゲノムデータを充実させ、それらを比較解析することによって、縄文人のたどった進化史が明らかになり、日本列島人の起源と成立を知ることにつながると期待される。




5万年前の世界一古い“針”が発見される! しかも、ホモサピエンスが作ったものではなかった!=ロシア
http://tocana.jp/2016/09/post_10903_entry.html

news5万年前の世界一古い“針”が発見される! しかも、ホモサピエンスが作ったものではなかった!=ロシア


 ロシア、アルタイ地方のデニソワ洞窟で5万年前以上の驚くべきモノが発見された。しかもそれは、ホモサピエンスが作ったものではないという。ホモサピエンスが作ったのではないとすれば、一体どんな生物が作ったのだろうか?

■5万年前に作られた最古の“針”

 考古学者たちは、ロシア・アルタイ山脈のデニソワ洞窟に人類起源の秘密が隠されていると考えている。この洞窟では毎年夏に発掘作業が行われるが、そこで針が発見された。この針には糸を通す針穴もちゃんと作られており、5万年前に作られたことが放射性炭素年代測定によって明らかになっている。

 デニソワ洞窟発掘調査のリーダーであるマクシム・コズリキン博士によれば、この針の長さは7.6cmで鳥の骨から作られている。シベリア、ノヴォシビルスク民族考古学研究所所長のミハイル・シャンコフ教授は、その針が今季発掘された物の中で最もユニークで、かつ衝撃的な発見だと話す。

 今まで発掘された最古の物は4万年前の物であったが、この針はその歴史を書き換えたのだ。そしてその針は、私たち現生人類(ホモ・サピエンス)ともネアンデルタール人とも違う、第三の人類であるデニソワ人によって作られた物と考えられている。そしてデニソワ人は、考えられていたよりもはるかに洗練された生活を営んでいたらしいのだ。

■第三の人類、デニソワ人とは?

 デニソワ人は、ロシア・アルタイ地方のデニソワ洞窟に4万年以上前に住んでいた人類だ。2008年、シベリアの科学者がデニソワ洞穴で「X woman」の指の骨の欠片を発見した。そしてその骨を分析した結果、その骨は4万1000年前に洞窟付近に住んでいた幼い少女のものだということが分かった。

 分析した科学者によると、彼女はネアンデルタール人やホモサピエンスとは遺伝的に異なる第三の人類、デニソワ人であった。また、その指の骨が見つかる10年前に洞窟で巨大な上大臼歯が発掘されたが、それもデニソワ人の歯で小指の骨よりさらに6万年ほど古いということがわかっている。科学者によると、デニソワ人は約17万年前以前からその洞窟に住み、現生人類やネアンデルタール人とも数万年もの間、共存していたに違いないという。

 デニソワ洞窟の層には28万年間もの間、人間が使用したらしい痕跡が残っていた。また2008年には、洞窟から緑泥石のブレスレットが発掘されている。洞窟で発掘されたブレスレットは、デニソワ人がホモサピエンスやネアンデルタール人よりも技術的に進んでいたことを示しているという。そのブレスレットには正確に開けられた穴があるが、そのような穴は現在使用されている高回転ドリルに似た用具でしか開けられないのだ。またそのブレスレットは入念に研磨されており、ブレスレットの中心にペンダントが(おそらく短い革ストラップを使って)付けられたデザインだったであろうと推測される。

■洞窟には3種類の人類が混在していた?

 このデニソワ洞窟は、現代人類が形成された文化の中心地であると言えよう。ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所センターの進化遺伝学者スバンテ・ペーボ博士によれば、全く異なる歴史を持った3種の人類が1カ所に共存していたことが分かっているのは、世界でもデニソワ洞窟だけらしい。

 ペーボ博士は古人類のDNA研究における第一人者であるが、洞窟にはネアンデルタール人とデニソワ人が現代のホモサピエンスと交雑したであろう証拠も見られるという。そして洞窟で見つかった発見から、人類の「出アフリカ」(アフリカで進化した人類が約6万年前から世界中に拡散して、原人の子孫に取って代わったという説)は専門家が想定していたより3万5000年ほど早まる可能性があるとも話す。マックス・プランク進化人類学研究所のセルジ・カステラーノ博士は、「これはアフリカ以外における、現代人類の最初の遺伝学的証拠です」と述べた。

 5万年前のこの針は、極寒のシベリアで毛皮を縫って着衣を作る事に使われていたのではないだろうか。針の用途も形も、現在私たちが使っている物と全く変わっていないことに驚かされる。はたして、現在の生活用品で5万年後も変わりなく使われている物はあるのだろうか……。




イヌイットが氷河期を生き残った理由は、デニソワ人の遺伝子が受け継がれていたという研究結果
http://www.excite.co.jp/News/odd/Karapaia_52230926.html

newsイヌイットが氷河期を生き残った理由は、デニソワ人の遺伝子が受け継がれていたという研究結果


 グリーンランドのイヌイットが氷河期を生き残ったのは、太古の祖先から受け継いだ遺伝子のおかげかもしれない。この遺伝子は、4万年前にシベリアで暮らしていたデニソワ人を生き残らせたものだという。

■ イヌイットからデニソワ人の遺伝的変異体が発見される

 グリーンランド、カナダ、アラスカの北極圏の気温はマイナス30度にまで下がる。イヌイットはこの極寒の中、主に海産物を食べて生活している。それを可能にする秘訣は、特定の体脂肪から熱を発生させる能力にある。

 この能力の源を突き止めるため、専門家はグリーンランドのイヌイット200名から得た遺伝データと、ネアンデルタール人およびデニソワ人のDNAを比較。その結果、TBX15とWARS2というデニソワ人の遺伝的変異体と一致する2種の遺伝子が特定された。

■ 平均的な現代人と異なるデニソワ人の遺伝子

 デニソワ人とは、シベリアで暮らしていた絶滅したヒト属の人類だ。シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟で発見され、DNA解析からシベリアだけでなく、アジアの広範囲に分布していたことが判明している。

 同時期のアジア西部やヨーロッパにはネアンデルタール人が暮らしていたが、両者は20万年ほど前に共通の祖先から分岐した姉妹種であると考えられているがまだ謎は多い。(デニソワ人に関しては科学では解明できない10の生命ミステリーの”3. 謎めいた人類の祖先”に関しても記載)

 TBX15は、人体の寒さへの反応や体脂肪のつき方に影響することが知られている。…

また、どちらの遺伝子も皮膚組織や脂肪組織で活性化しており、それらが占めるDNA領域はネアンデルタール人と平均的な現代人とではハッキリ異なってプログラムされている。

■ イヌイットのDNA配列はデニソワ人とよく似ている

 調査を率いたニューヨーク遺伝子センターのフェルナンド・ラシモ(Fernando Racimo)博士によると、この地域に住むイヌイットのDNA配列はデニソワ人のそれとよく一致しており、他の現代人のものとはかなり異なっているのだそうだ。一方で、まだゲノムが知られていない別の古代グループから受け継いだ可能性はまだ捨てきれないという。

 ユーラシア大陸の一部の人たちは珍しいDNAを持っていた。しかし、それはイヌイットやネイティブアメリカンの人たちの間ではずっと一般的である。得られた証拠は、イヌイットのTBX15およびWARS2の変異体は、デニソワ人かそれに近い近縁種から現代人に受け継がれたことを指し示している。彼らから受け継いだ遺伝子が、おそらく現在の人類がシベリアに広まり、ベーリング海峡を越え、アメリカ大陸に渡る手助けをしたと考えられる。

 なお今年初めには、カリフォルニア大学の研究者によって、我々の体内から5万年前の他種の遺伝子が数多く発見されている。

 当時、ネアンデルタール人、デニソワ人、ホモ・サピエンスは近種同士で交わっていた。こうして獲得された遺伝子は脂肪の代謝、免疫系、エネルギーの節約に影響し、我々が更新世に起きた前回の氷河期を生き残るうえで大切な役割を果たしたと考えられている。…

実は現代人の遺伝子の5パーセントは、ネアンデルタール人との異種交配によって得られたものであるそうだ。



元寇に代表されるような日本人と可汗一味の対立

についてはこれまで数限りなく書いてきた通り


だが、これだけ執拗に狙ってくるからには単なる

征服欲を超えた何かがあるのではないか、


と考えるわけでつね。



人類の進化、まあ皆さん学校で習ったでせう。


アウストラロピテクスからホモサピエンス、

そして現生人類であるホモサピエンスに


進化するわけでつね。


ホモサピエンスにはいろいろあって、引用記事に


あるように、ネアンデルタール人・デニソワ人・

ホモサピエンス等がいるわけでつね。



DNAを調べると、日本人の51%には

ネアンデルタール人・デニソワ人由来の


遺伝子配列が残っているとか。

これはハプログループD1bの確率以上でつね。



引用記事では現代日本人とネアンデルタール人・

デニソワ人との比較は出てるが、縄文人との比較


がないので正確なことは言えないが、前に書いた

通り、D1bは約3万5千年前に中東から日本に


移動してきた集団なので、17.6万年前に洞窟

で石を積んでたり5万年前に縫い針を作ったりし


てた集団と接触した後に日本に移動してきたと

考えても矛盾はないでつね。



ネアンデルタール人-Wikipedia

wikiネアンデルタール人


2010年5月7日のサイエンス誌に、アフリカのネグロイドを除く現生人類の核遺伝子には絶滅したネアンデルタール人類特有の遺伝子が1 - 4 %混入しているとの研究結果が発表された。これは、現生人類直系祖先であるホモ・サピエンスが出アフリカした直後すなわち10 - 5万年前の中東地域で、そこに既に居住していたネアンデルタール人類と接触し、混血したこと、一方でアフリカ大陸を離れなかった現生人類はネアンデルタール人類と接触しなかったことによる。 すなわち、出アフリカ後の中東で混血しその後にヨーロッパやアジアなど世界中に拡がった現生人類は、約3万年前に絶滅してしまったネアンデルタール人の血を数パーセント受け継いでいることが明らかになった。

さらに2014年の研究では、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人と混血したのは今から6万年くらい前のこととしている。 ネアンデルタール人からの混入遺伝子は、現生人類の皮膚、爪、髪形成などの繁殖に重要でない遺伝子部分に細分化されて多く残っており、白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などいくつかのコーカソイド的な特徴はネアンデルタール人から受け継いだ可能性が高いとしている。


デニソワ人-Wikipedia

wikiデニソワ人


2010年12月23日、マックス・プランク進化人類学研究所などの国際研究チームにより『ネイチャー』に論文が掲載された。見つかった骨の一部は5-7歳の少女の小指の骨であり、細胞核DNAの解析の結果、デニソワ人はネアンデルタール人と近縁なグループで、80万4千年前に現生人類であるホモ・サピエンスとの共通祖先からネアンデルタール人・デニソワ人の祖先が分岐し、64万年前にネアンデルタール人から分岐した人類であることが推定された。



いろんな種族が出てきたが、学校で習ったのに

まだ出てきてない名前があるんじゃないでせう


か?



ラスコー展を鑑賞 東京の国立科学博物館 
http://mainichi.jp/articles/20161220/k00/00m/040/015000c

newsラスコー展を鑑賞 東京の国立科学博物館


 秋篠宮ご夫妻は19日、東京・上野公園の国立科学博物館で開催中の特別展「世界遺産 ラスコー展 クロマニョン人が残した洞窟壁画」(毎日新聞社など主催)を鑑賞された。

 同展は、約2万年前にクロマニョン人が描いたフランス南西部のラスコー洞窟壁画を紹介するもので、最新技術で再現した壁画などが展示されている。

 ご夫妻は、同館の海部陽介・人類史研究グループ長らの説明を聞きながら、洞窟の模型や、色彩や質感を忠実に再現した壁画の「泳ぐシカ」などを見学した。秋篠宮さまは、暗い洞窟で、どのように壁画が描かれたかなどについて質問していたという。展示は来年2月19日まで。問い合わせはハローダイヤル(03・5777・8600)。【高島博之】


クロマニョン人-Wikipedia

wikiクロマニョン人

wikiクロマニョン人2


南フランスで発見された人類化石に付けられた名称である。1868年[1]、クロマニョン (Cro-Magnon) 洞窟で、鉄道工事に際して5体の人骨化石が出土し[2]、古生物学者ルイ= ラルテ(Louis Lartet) によって研究された。現在ではクロマニョン人を、現世人類と合わせて解剖学的現代人(en:Anatomically modern human:AMH)と呼ぶことがある。

後期旧石器時代に属し、約4万 - 1万年前のものと考えられる。

骨格が頑丈で多くの点で現代人と似ている。コーカソイドの直接の祖先である可能性が高い。

180センチメートル前後の長身、頭が大きく、直顎で、頤がみられる。歯は小さい。旧人のような眼窩上隆起や額の後退はみられず、乳様突起が発達している。きわめて現代人に似ていたが、筋骨は強壮であったと思われる。

2003年のクロマニョン人の遺伝子調査ではハプログループN (mtDNA)(ともに子系統を含む)が確認された。

2015年の遺伝子調査では、13,000年前のスイスのクロマニョン人がハプログループI2a (Y染色体)、ハプログループU5b1h (mtDNA)に属すことがわかった。

これによりクロマニョン人は現在のヨーロッパ人の祖先の一部であることが明らかになった


wikiクロマニョン人 ラスコー展


tenまさかのアメリカ大使館バージョンの「恋ダンス」 きっかけを聞きました
【アメリカ通信】アメリカ大統領が靖国参拝する日⇒こちら




Cro-Magnon-Wikipedia

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人類の進化-Wikipedia

wiki人類の進化


ヨーロッパ人と日本人の共通祖先の分岐年代は、7万年前±1万3000年であると推定されている。



ネアンデルタール人もデニソワ人も

クロマニョン人も、今は絶滅していないわけだが


それらが絶滅したころから世界が変わり始める

わけでつね。



文明-Wikipedia

wiki文明


文明が発生するには、まず前提として農耕による食糧生産の開始と、それによる余剰農作物の生産がなければならない。最初期の農耕はオリエントの三日月地帯において11,000年前、パプアニューギニアで9,000年前の証拠が発見されている。これらは、2万年前に最も寒くなった寒冷期の終わり、1万年前に相当する時期に当たる。この時期はBC5300年頃にはメソポタミアにおいて灌漑施設が建設されるようになり、ウバイド文明と呼ばれるメソポタミア最古の文明が成立した。その後、紀元前4000年ごろからはウルやウルクといった都市がメソポタミア南部に相次いで建設されるウルク期と呼ばれる時期に入り、BC3200年ごろには楔形文字が発明された。


肥沃な三日月地帯-Wikipedia

wiki肥沃な三日月地帯

wiki肥沃な三日月地帯2


古代オリエント史の文脈において多用される歴史地理的な概念である、その範囲はペルシア湾からチグリス川・ユーフラテス川を遡り、シリアを経てパレスチナ、エジプトへと到る半円形の地域である。



現イラクからシリアを経由しエジプトにかけての

地域で文明が発祥するわけでつね。



世界の歴史-Wikipedia

wiki世界の歴史

wiki世界の歴史2


メソポタミア文明

メソポタミア文明は、ティグリス川流域や[ユーフラテス川]流域、またはその間で発達した文明である。 灌漑農業が発達したメソポタミア南部では、急激に人口が増え、数多くの大村落が成立し、それはやがて都市へと発展していった。紀元前2700年頃までに、シュメール人という民族がウル、ウルクなどの都市国家を形成し、神権政治を行った。

エジプト文明

エジプト文明はナイル川を中心として発展した文明である。エジプト文明は、エジプト古王国、エジプト中王国、エジプト新王国、の3つの時代に分けられる。 エジプトでは、国家統一以前にノモスと呼ばれる地域の政治的まとまり(領土国家、領域国家)が複数存在した。エジプトではメソポタミアよりもはやく統一国家が成立した。


エジプトの歴史-Wikipedia

wikiエジプトの歴史


『旧約聖書』「出エジプト記」の時代はエジプト第18王朝と考えられている。モーゼを育てたのがハトシェプストであるとする説があるが、モーゼの出エジプトがエジプト第19王朝のラムセス2世の時代であれば、時代が離れ過ぎているため諸説ある。いずれにせよ、この集団が後にイスラエル王国を建国したと考えられている。


旧約聖書-Wikipedia

wiki旧約聖書

wiki旧約聖書2


続いて創世記には、アブラハム・イサク・ヤコブの3代の族長の物語が記されている(創世記12-36)。アブラハムはバビロニアから出発して、カナン(現在のイスラエル/パレスチナ)にやってきた遊牧民の族長であり、神から祝福を受け諸民族の父になるという約束を与えられた

創世記は以上で終わり、物語は出エジプト記につながっていく。前述のヨセフの時代にエジプトに移住していたイスラエル人達は、王朝が変ったために、やがて迫害されるようになる(出エジプト1:1-14)。そこに、エジプト人として教育を受けたモーセ(出エジプト2:1-10)が、神から召命を受けて立ち上がり(出エジプト3:1-4:17)イスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し(出エジプト5:1-15:21)、神が族長ヤコブに約束した「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指しながら40年間シナイ半島で放浪する


ノアの方舟-Wikipedia

wikiノアの方舟

wikiノアの方舟2


神は地上に増えた人々の堕落(墜落)を見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノア(当時500~600歳)に告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。

箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。箱舟の内と外は木のタールで塗られた。ノアは箱舟を完成させると、妻と、三人の息子とそれぞれの妻、そしてすべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった

詳しい年代は定かとなっていないが(1880年 - 1910年頃であろうと推測される)アララト山周辺を勢力圏としていた帝政ロシアが大規模な捜索隊を編成しノアの箱舟の残骸を捜索しかなりの成果を収めたものの、ロシア革命の混乱が原因で公表される前にその資料が遺失してしまったという。
1920年以降、様々なレベルで調査が、その都度行われている。標高はおよそ、5,000メートル付近といわれている(その後、地震や氷河の融解によって、渓谷を滑り落ち、下に移動していったとする説もあった。またこの近辺は、冬期間は完全に氷河に閉ざされてしまう)。
戦後、米国の軍事衛星による撮影でCIA内部でも実在説を支持する勢力が増えたことがある。
1950年代の複数の調査によると、氷河に閉ざされていた影の長さは120 - 130mあったと報告された。また、その数年後に調査したグループが、残骸から切り取ったとされる、ほぼ炭化しかけた、化石といってもよいような木材を、数箇所の大学や研究機関で、放射性炭素14法などを用いて年代測定したところ、およそ、カイロ博物館では紀元前3000年 - 紀元前4000年、エジプト農務省では紀元前5000年、マドリード大学などいくつかの大学では紀元前2000年~紀元前3000年といった結果が出た。一方で、カリフォルニア大学など、アメリカのいくつかの大学では、およそ1200年前~1400年前という結果が出たという。その材質はオーク材であった。『聖書』の「ゴフェルの木」は、一般に「イトスギ」と訳されているが、実は「ホワイトオーク」であったとする科学的な見解もある。ただし、この近辺1000km四方に、ホワイトオークは古来から存在しないため、証言どおりであるならば、明らかに、遠い過去の時点で、大量にその地帯に持ち込まれた、あるいは、運び込まれた材質であるといえる。
1959年には、トルコ空軍による報告が残されている。
1960年代に入ると、冷戦激化に伴い、旧ソビエト連邦と国境を接するこの地区には入ることが不可能となった。しかし、駐トルコのアメリカ空軍によって、この船影らしき長方形の黒ずんだ物体が、何度も確認されたという。これらは、アララト山北東斜面に集中しているといわれている。



エジプトのファラオは、壁画などを見ても黒人

として描かれてて、「アフリカを出なかった種族


はネアンデルタール人のDNAを持たない」

という鑑定からすると、非黒人が全てネアンデル


タール人のDNAを持ってるということは、現代

の非黒人はネアンデルタール人との混血によって


色が落ちたと考えられるわけでつね。


7万年前ぐらいに分化した日本人の祖先は3万5


千年前に日本に向かい、残った方は三日月地帯で

文明を興したわけでつね。




「残った方」の中にはアノ民族も含まれてるわけ

だが、残った方がいたバビロニア=イラク辺り


から黒人国家だったエジプトに出稼ぎに来てた

わけでつね。



アノ民族といえばノアの箱舟、発掘史に登場する

のはトルコ・ロシア・アメリカ。



「アラブの春」としてまさに文明発祥の地である

エジプトやシリアの政権を転覆させてるのは、


こういうチャネルからみると、隠蔽・歪曲・捏造

された人類の歴史の真実を暴くための戦いのよう


にも見えるわけでつね。


なぜ暴かなければならないか?


特に、アノ民族絡みの部分では、アメリカに巣食

って財政に寄生するアノ民族の不当性を明らかに


することで規制の根拠を根こそぎ奪おうという

ことでつね。



しかし、人類の歴史を捻じ曲げてるのはアノ民族

だけじゃないでせう。



コーカソイド-Wikipedia

wikiコーカソイド

wikiコーカソイド2


コーカソイドとは、カスピ海と黒海に挟まれたところに位置する「コーカサス」(カフカース地方)に「…のような」を意味する接尾語の -oid をつけた造語で、「コーカサス出自の人種」という意味である。元々はドイツの哲学者クリストフ・マイナースが提唱した用語であった。その影響を受けたドイツの医師ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハは生物学上の理論として五大人種説を唱え、ヨーロッパに住まう人々を「コーカシア」と定義した。ジョルジュ・キュヴィエはヨーロッパ人とアラブ人をコーカソイドに分類し、その高弟アンドレ・デュメリル(フランス語版)もコーカソイドをアラブ・ヨーロッパ人とした。

人類学が成立したヨーロッパはキリスト教圏であり、ユダヤ・キリスト教に由来する価値観が重んじられていた。ヨーロッパのキリスト教徒にとって、『創世記』のノアの方舟でアララト山にたどり着いたノアの息子たちは現在の人類の始祖であった。人類学の父とされるブルーメンバッハをはじめとするヨーロッパ人学者たちは、アララト山のあるコーカサスに関心を抱いていた。また、『旧約聖書』の創世記1?6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた。

コーカソイドとはヨーロッパ人がキリスト教的価値観に基づいて自己を定義するために創出された概念である。そのため、その範囲は基本的に東ヨーロッパ・西ヨーロッパの双方を合わせた全ヨーロッパ地域に限定される場合がほとんどであった[要出典]。

戦後しばらくまでの人類学は科学的根拠に乏しい、偏見や先入観に満ちた内容であることが多く、人種差別的な思想を多分に含んでいた。事実、提唱者であるブルーメンバッハもさまざまな人間の集団の中で「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しい、人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと考えていた。つまり最初の時点で白人至上主義的な考えが基盤に存在していたのである。その後、他の人類学者によって(白人が他に優越しているという原則の上で)コーカソイドをさらに細分化しての分類が試みられた。ウィリアム・Z・リプリーによる北方人種・地中海人種・アルプス人種の三分類などが有名である他、東ヨーロッパ人種・ディナール人種という分類も存在する。

初期の人類学の人種判別は外見の違い(特に肌の色)による判断という、かなり原始的な考察を頼りとしていた。また上述されている通りキリスト教への信仰心が深く関与している概念であり、風貌的に似通っていても異教徒である場合は意図的に範囲から除外された。

人種分類はその性質上、優生学などの差別的な思想と結び付きやすく、実際にクー・クラックス・クランやナチスのような勢力を生み出す遠因となった。そのため、現在の生物学における人種に関する研究は、現生人類は一種一亜種であるという前提の上で慎重に行われている。あくまで人種とは現生人類の遺伝的多様性の地域的・個体群的偏りに過ぎず、人種相互に明瞭な境界はないとする。

なお、近年の国際的な学会では、人種分類としてのコーカソイドという名称から、地域集団の一つとしての「西ユーラシア人」という名称が一般的になりつつある(詳しくは人種を参照)。「コーカソイド」は、日本語中での用法は白人・白色人種のヨーロッパ風の表現として認識されることが多い。



ノア (聖書)-Wikipedia

wikiノア (聖書)


ノアの父はセトの子孫であるレメクであった(カインの子孫であるレメクと同名であるが別人)[注釈 2]。ノアは500歳で息子セム、ハム、ヤペテ(ヤフェト)をもうけた。

人が増えその娘も生まれた。神の子たちが娘の魅力に惹かれ、選んだものを自分の妻とした。

そこで主「私のルーアハは長く人の中にはとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。彼の歳は120年だろう。」と言った。またその頃もその後もネフィリム(単数形“ネフィル”)(慣習では「巨人」と訳されている)が生まれた。彼らは昔の勇士、有名人であった。

主は地上に増え始めた人々が悪を行っているのを見て、心を痛め、人も獣も這うものも空の鳥までもぬぐい去る、これらを造ったことを悔いると言った。しかし「その時代の人々の中で正しく、かつ全き人」「神と共に歩んだ」とされたノアとその家族、および動物(鳥なども含む)は生き延びさせるよう、ノアに箱舟の建設を命じた。

箱舟はいとすぎの木でつくられ、3階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。



「カスピ海と黒海の狭間」といえばハザール。


アノ民族が書いた旧約聖書の記述になぜ新約聖書


を信じるキリスト教徒がホルってるのか全く理解

できないが、ノアの方舟が実在したとしても


洪水で生き残った生物が全生物の祖先になれる

わけがないのは、くしくもキリスト教徒たちが


築き上げてきた科学的見地をもって考えれば

火を見るより明らかでつね。



上で書いたように、黒人から色が落ちることは

あり得ても、白人に色がついて黒人になることは


考えにくいわけで、それならノアの方舟に乗って

たのは黒人だった、という、毛唐には到底受け入


れがたいであろう話になるわけでつね。



seaオバマ


「アラブの春」が黒人であるオバマ在任中に

起きたのは偶然ではないでせう。

毛唐の勝手な思い込みやアノ民族の我田引水に


鉄槌を下すことで、日本人が公正に扱われる世界

に正すことを目指したわけでつね。



もちろんボランティア精神からではなく、それが

自分たち黒人にも利益のあることだからでつね。



オバマ在任中に日本の扱われ方が全く変わった

ことに、皆さん気付いてるでせう?


( ゜∀゜)・∵ブハ八ノヽ/ \!!!!!!!!





ヒィィィィィィイイイイイ!!!!

ここまで書くのにめちゃめちゃ大変

だったwwwwwwwwwwwwwww

(´;ω;`)ブワッ

1本の記事に24時間以上かかったのは初めてです。


まあ「ハーン」シリーズもそうだが、

世界で誰も書いてないようなことを書くのは

大変です^^;

Comments

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No title

新年から余りにも凄すぎる記事、感謝致します。
鳥肌がたった、どころじゃない!スゲぇよ、スゴい!

皆この記事を読むべき。読まなきゃ損するだけ。
続きがあまりにも気になりますよ。

No title

あけましておめでとうございますm(_ _)m

新年特集キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
このブログが人類史の新約聖書ですね(✽ ゚д゚ ✽)
今までの新年特集は24時間かかっていないのが、むしろ、凄いですね!

続き楽しみにしております。
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