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【新年特集】ハーン3 ~対立の根源と神の天皇(中編)・1~

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ローマ帝国崩壊、原因はマラリア? 遺骨のDNAで原虫特定
http://www.cnn.co.jp/fringe/35093294.html

newsローマ帝国崩壊、原因はマラリア? 遺骨のDNAで原虫特定


古代ローマ人の歯から採取したDNAから、マラリア感染の証拠が見つかった

(CNN) カナダ・マクマスター大学などの研究者は6日までに、古代ローマ帝国の墓地に埋葬された2000年前の人間の遺体から、マラリア感染の遺伝的な証拠を発見したとの論文を発表した。マラリアの流行がローマ帝国崩壊の一因になったとの説は以前から人気があり、今回の発見がこうした議論の進展に寄与する可能性もある。

研究者らはローマ帝国時代のイタリアの墓地3カ所に埋葬されていた成人58人、子ども10人の歯から採取したDNAの断片を調査。ミトコンドリアゲノムを復元し、人々に感染していた特定のマラリアの種類を同定することに成功した。

研究データから確認できたところよれば、このマラリアは熱帯熱原虫と呼ばれるマラリア寄生虫のもの。今日蚊によって媒介され、毎年数十万人の命を奪っている寄生虫と同じものだ。

論文の筆頭著者でマクマスター大の古代DNAセンターを統括するヘンドリック・ポイナー氏は「マラリアは古代ローマで広範囲に死をもたらした歴史上重要な病原体であった可能性がある」と指摘した。

研究者らは、マラリアによるローマ帝国の死者数は現在のアフリカにおけるマラリア関連の死者数と同程度に上ったと推定している。世界保健機関(WHO)によれば、2015年にはマラリアにより全世界で推定43万8000人が死亡。このうち91%はサハラ砂漠以南のアフリカに集中している。

今回の発見以前にも、マラリアとみられる熱病の描写はヒポクラテスの「疫病について」やケルススの「医学論」といった歴史的な著作の中に見いだされてきた。ポイナー氏によれば、こうした熱病は1年の特定の時期に毎年繰り返し発生したと記述されているが、発熱を起こす感染症は多数あることから、マラリアと分類するには至っていなかったという。

今回調査対象となったのは現在のイタリアの域内にある3つの古代都市、ベリアとイゾラサクラ、バグナリの墓地。ベリアの墓地は紀元後1~2世紀のもので、イゾラサクラとバグナリにはそれぞれ同1~3世紀、同1~4世紀にさかのぼる墓地がある。

復元されたゲノムの半分以上は、ベリアとバグナリに埋葬された成人1人ずつの骨格から採取したDNAを使い構成された。イゾラサクラにある骨格からは寄生虫は検出されなかった。

マラリアがローマ帝国の崩壊を引き起こしたとの説は昔から人気がある。ただ、生物人類学者のクリスティーナ・キルグローブ氏によれば、こうした説を支持する直接のDNA上の証拠はないという。同氏は、マラリアが帝政末期のローマにおける人口変動と最終的に関係していたとしても、鉛中毒や寄生虫感染症、性病といった他の健康問題も調査することが重要だと指摘。そのうえで「ローマ帝国の『崩壊』に単一の原因は存在しないというのが大半の学者の共通見解だが、人口が減少する過程において疫病が一定の役割を果たしたのは確かだ」と述べた。




【衝撃】1600年前のローマ帝国はナノテクノロジーを駆使していた! 新たなオーパーツ「リュクルゴスの聖杯」が謎すぎる
http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201612_post_11846.html

news【衝撃】1600年前のローマ帝国はナノテクノロジーを駆使していた! 新たなオーパーツ「リュクルゴスの聖杯」が謎すぎる


“ナノ”の技術といわれても、なかなかピンとこない。1ナノメートル、つまり10億分の1メートルの世界での話である。物質を構成している最小の単位である原子や分子レベルでの技術開発は、1974年からナノテクノロジーと呼ばれるようになり、今後もさらなる発展が期待される21世紀の注目技術のひとつである。しかし、このテクノロジーの最先端ともいえるナノテクノロジーを駆使して作成されたモノが、すでに1600年前のローマにあったという驚きの報告があるようだ。オンラインジャーナルの「EWAO」が、詳細についてレポートしている。

■「リュクルゴスの聖杯」の謎が解明される

 時は、ローマ帝国が栄えていた時代まで遡る。紀元295年~325年の間に作られた“ある杯”に、ナノテクノロジーを駆使した装飾が施されていたのである。それこそが「リュクルゴスカップ」もしくは「リュクルゴスの聖杯」として知られるガラスの杯だ。現在は大英博物館に所蔵されているが、この杯は、光の当たり方によってその色を変えるという不思議な色彩をしている。

 スパルタの王であったリュクルゴスの死をモチーフとし、ローマ時代特有の重厚な装飾を施された「リュクルゴスの聖杯」は、正面から光が当たっている時には、不透明な緑色をしている。しかし、光が裏側から当たると、透明な赤へと変化するのである。…

長年の間、この変色は歴史的にも、芸術的にも、科学的にも謎とされていた。しかし今回、イギリスの研究チームによって秘密が解き明かされた。

 その変色のメカニズムは、なんと分子レベルの光学的変化に由来するというのだ。ガラスに含まれているコロイド金粒子と銀粒子が光を浴びることによって、その粒子に含まれる原子が振動し、その結果、光の透過度と色を変えていた。この粒子は50ナノメートルという大きさで、塩の粒子の1000分の1の大きさの世界での変化なのである。

■大昔にナノテクノロジーが存在していた?

 現在のテクノロジーを持ってしても、この正確な配合を成し遂げることは非常に難しいとされる。ローマ時代の職人が、何らかの理由で偶然にも変色の仕組みに気がついたか、既知の科学とは異なる技術を利用したか、あるいは、すでに現在の科学が取り組んでいるナノテクノロジー同様の技術を利用して作成されたとしか考えられないのだ。

 同様の手法を用いて作成された同年代の出土品や、現存する芸術品なども乏しく、原形をとどめているものはこの「リュクルゴスの聖杯」だけともいわれている。

 はたして、この聖杯は科学的オーパーツなのか、それとも、偶然に偶然が重なった奇跡の一品なのか――? 真実はわからないが、王の死を象徴的に表す“血の赤”に染まる杯の工芸技術的価値が、芸術的価値と同様、極めて高いことはご理解いただけるだろう。知られざる聖杯の研究が、さらに進展することを期待したい。



エジプト-Wikipedia

wikiエジプト


アケメネス朝ペルシア
3000年にわたる諸王朝の盛衰の末、紀元前525年にアケメネス朝ペルシアに支配された

ヘレニズム文化
紀元前332年にはアレクサンドロス大王に征服された。その後ギリシア系のプトレマイオス朝が成立し、ヘレニズム文化の中心のひとつとして栄えた。

ローマ帝国
プトレマイオス朝は紀元前30年に滅ぼされ、エジプトはローマ帝国の属州となりアエギュプトゥスと呼ばれた。ローマ帝国の統治下ではキリスト教が広まり、コプト教会が生まれた。ローマ帝国の分割後は東ローマ帝国に属し、豊かな穀物生産でその繁栄を支えた。



アノ民族の発生源ともいえるエジプトも、最終的

にはローマ帝国に吸収されてしまうわけでつね。



ローマ帝国-Wikipedia

wikiローマ帝国

wikiローマ帝国2

wikiローマ帝国3

wikiローマ帝国4

wikiローマ帝国5


古代ローマがイタリア半島に誕生した都市国家から、地中海にまたがる領域国家へと発展した段階以降を表す言葉である。従って厳密には古代ローマの体制が共和制だった頃を含んでいる。最盛期には地中海沿岸全域に加え、ブリタンニア、ダキア、メソポタミアなど広大な領域を版図とした。シルクロードの西の起点であり、古代中国の文献では大秦の名で登場する。

古代ローマがいわゆるローマ帝国となったのは、イタリア半島を支配する都市国家連合から「多民族・人種・宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家」へと成長を遂げたからであり、帝政開始をもってローマ帝国となった訳ではない。

紀元前27年よりローマ帝国は共和政から帝政へと移行する。ただし初代皇帝アウグストゥスは共和政の守護者として振る舞った。この段階をプリンキパトゥス(元首政)という。ディオクレティアヌス帝が即位した285年以降は専制君主制(ドミナートゥス)へと変貌した。

313年にコンスタンティヌス1世が、首都をローマからコンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)へ遷した。テオドシウス1世は、古くからの神々を廃し、392年にキリスト教を国教とした395年、東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂。その後帝国が統合されることは無かった。

西ローマ帝国は経済的、軍事的基盤が弱く、ゲルマン人の侵入に抗せず476年に滅亡。6世紀に東ローマ帝国による西方再征服も行われたが、7世紀以降は領土を大きく減らし、国家体制の変化が進行した。8世紀にローマ市を失った後も長く存続したが、1453年に首都コンスタンティノポリスが陥落し、ローマ帝国は完全に滅亡した。

帝政の開始

ローマ帝国の起源は、紀元前8世紀中ごろにイタリア半島を南下したラテン人の一派がティベリス川(現:テヴェレ川)のほとりに形成した都市国家ローマである(王政ローマ)。当初はエトルリア人などの王を擁いていたローマは、紀元前509年に7代目の王であったタルクィニウス・スペルブスを追放して、貴族(パトリキ)による共和政を布いた。

スッラ及びユリウス・カエサルは絶対的な権限を有する終身独裁官に就任、元老院中心の共和政は徐々に崩壊の過程を辿る。紀元前44年にカエサルが暗殺された後、共和主義者の打倒で協力したオクタウィアヌスとマルクス・アントニウスが覇権を争い、これに勝利を収めたオクタウィアヌスが紀元前27年に共和制の復活を声明し、元老院に権限の返還を申し出た。これに対して元老院はプリンケプス(元首)としてのオクタウィアヌスに多くの要職と、「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を与えた。一般的にこのときから帝政が開始したとされている。

皇帝は代々次のような称号と権力を有した。

「アウグストゥス」と「カエサル」の称号。
「インペラトル」(凱旋将軍、軍最高司令官)の称号とそれに伴う全軍の最高指揮権(「エンペラー」の語源)。



ローマ帝国とは、前に書いた「大秦」でつね。

ローマ帝国は古代ローマからの流れで興ったので


市民は古代ローマのマインドを持ってたでせう。

で、カエサル=シーザーが出て来るわけでつね。



どこぞにカエサルの末裔を称してた連中が

おりましたな(縛w


それはそれはのどから手、どころか足まで出る

ほど欲しいでせうな。


嘔臭の「皇帝」としての絶対的な正統性を持つ

ステータスだからでつね。



ここにも胡散臭い歴史の捏造が存在してるわけ

でつね。




古代ローマ-Wikipedia

wiki古代ローマ


紀元前753年(建国)から紀元前509年まで、ロームルスに始まる伝説上の人の王が治めていた期間(伝承による)。

初期の4人の王はローマ建設時の中心となったラテン人とサビニ人から選ばれているが、その後の3人の王はエトルリア人出身であるとされる。これは初期のローマにおいてエトルリア人による他民族支配を受けていたことを示すと考えられている。



「7」のメッセージ(縛w

いろいろな所に出てくるのでどの「7」なのかは


その時々で判断するしかないでつね。


紀元前6~8世紀に古代ローマを建設したのは


ラテン人。

そういえば紀元前7世紀ごろに建国された国が


ありましたな。


まあ「王政ローマ参照」と書いてあるので


参照してみませう。




王政ローマ-Wikipedia

wiki王政ローマ

wiki王政ローマ2


伝承では後述するように紀元前753年に初代ローマ王ロームルスが建国し、紀元前509年に第7代目の王タルクィニウス・スペルブスが追放されるまで続いたことになっている。ただし、当時のローマは文字を持っていなかった可能性があり、王の存在は主に口承で伝えられ、確実な資料がないとされてきた。ローマという都市名も初代王ロームルスにちなむとされるが、この王については存在すら疑問視される向きもある。ローマという言葉は、エトルリア語(en:Etruscan civilization)またはサビニ語(英語版)(サビニ人)で意味のある言葉だという見解がある。

ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。

トロイア戦争で敗走したトロイア人アイネイアースらは、ギリシアの島々やカルタゴを転々とした後、イタリア半島のラティウムに上陸した。そしてアイネイアースは現地の王の娘を妻として与えられ、ラウィニウムを築く。アイネイアースの死後は息子のアスカニオスが王位を継いだが、三十年の治世の後ラウィニウムを去り、アルバ・ロンガと名付けた新しい街を建設した。

時代が下り、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マールスが降りてきて彼女と交わった。シルウィアは双子を産み落とすが、怒った叔父の王は双子を川に流した。双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロームルスとレムスと名づけられた。成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。しかし兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺される。この丘、パラティヌスに築かれた都市がローマであった。こののちローマは領域を拡大させ、つの丘を都市の領域とした。



建国当初、文字がなかったので建国神話は

口承だった。。。


処女が義務付けられた巫女。。。

どっかで聞いたような話でつね。



処女なのに妊娠。。。

どっかで聞いたような話でつね。


ローマの神話を平然とパクったキリスト教、

ハンパねーな(縛w



「ローマの建国神話参照」と書いてあるので

参照してみませう。




ローマの建国神話-Wikipedia

wikiローマの建国神話

wikiローマの建国神話2

wikiローマの建国神話3

wikiローマの建国神話4


古代ローマが誕生するまでの伝承や神話である。主な内容としてアイネイアースの伝承や、ロームルスのローマ建国などが挙げられる。建国伝承以外のローマ神話はローマ神話等を参照。

アイネイアースはトロイア側の将軍でトロイア王家の人間である。また、愛と美の女神ウェヌス(ヴィーナス)の子供でもある。トロイアとギリシアのアカイア人の諸都市が約10年間戦ったトロイア戦争で、アイネイアースらトロイア勢は奮戦するが、アカイア側のトロイの木馬の計によってトロイアは陥落し、アカイア人が侵入し、殺戮を行った。多くのトロイア人が命を落とす中、ウェヌスの忠告でアイネイアースは年老いた父のアンキーセースと子供のアスカニオスらと共に落城するトロイアを脱出した。その後、アンタンドロス (es:Antandro) で船を建造し、船に乗って新天地を目指し、放浪の旅を始めた。まず、トラキアの王を頼ろうとトラキアに向かい、海岸で犠牲式を開催したが、ポリュドールスの亡霊の忠告によってトラキアを離れた[1]。その後、デロス島で神からのお告げでクレタ島に向かい、建国をしようとした。その後、再びのお告げでイタリアに新しい国を作るべく再び航海を始めた。

一方、天上界ではユピテルはユーノーやユートゥルナを説得し、これ以上干渉することを止めさせた。そして、アイネイアースとトゥルヌスは戦闘を続け、アイネイアースが槍をトゥルヌスの太股に斬りつけた。トゥルヌスは降伏し、命乞いをした。しかし、アイネイアースはトゥルヌスの肩にパラスの剣帯を見て、怒りを覚えてトゥルヌスを殺した。その後、ラティウムを建設したアイネイアースは、ユーノーの怒りも収まり、アスカニオスの成長に伴い、天上界に昇る時間が近づいた。そこで、ウェヌスが他の神々と共にユピテルにアイネイアースを神にするよう、嘆願した。ユピテルは了承し、ウェヌスは川辺でアイネイアースを神にする儀式をし、アイネイアースは神になった。

アルバロンガ建設

アイネイアース亡き後、アスカニオスが王位についた。その後、ラウィニアの助けで順調に統治を進めていたアスカニオスは王位について数十年後にしだいに人口が多くなってきたラウィニウムをラウィニアに譲って自身は山地にアルバ・ロンガを建設した。

アスカニオス亡き後のアルバ王にはアスカニオスの弟であるシルウィウスが就いた。シルウィウスはアイネイアース亡き後、アスカニオスの暗殺を恐れ、森に隠れていた。アスカニオスの死後、王位に就いたシルウィウスは29年間統治をした。アスカニオスの子、ユルスは後のユリウス氏族につながるとされている。


ローマ神話-Wikipedia

wikiローマ神話

wikiローマ神話2

wikiローマ神話3


ローマ人も、ほかのインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)と同じく、先史時代から神話を語り継いできたと考えられている。

ローマ人は、紀元前6世紀から ギリシアの影響を受けて、ローマ古来の神々をギリシア神話の神々と同一視する、いわゆる「ギリシア語への翻訳」が行われた。その結果、下記の「主な神々」の欄に記したように、ローマ固有の神に対応するギリシアの神が決まっていったのである。さらに、ギリシア神話の物語を積極的にローマ神話へ取り入れたため、ローマ神話はギリシア神話と密接な関係を持つようになった。

アエネアス神話は、紀元前4世紀にラティヌス神話をそっくり模倣したものであると考えられている。ラティヌスは、ラテン人が毎年アルバーノ山(現カーヴォ山)でユピテル・ラティアリス神に犠牲を捧げるとき、神話上の父祖たる王を呼ぶとき使った名前である。現に、ラティヌスの名が記された紀元前6世紀の碑文が出土している

オリュンポス十二神相当
ユーピテル (ユピテル、英:ジュピター) - ゼウスに相当
ユーノー (ユノ、英:ジュノー、仏:ジュノン) - ヘーラーに相当
ミネルウァ (ミネルヴァ、ミネルバ) - アテーナーに相当
アポロ (希:アポローン、英:アポロ) - ギリシア神話から輸入
マールス (マルス、英:マーズ、マース) - アレースに相当
ウェヌス (英:ヴィーナス、ビーナス、伊:ヴェーネレ、露:ヴェネラ) - アプロディーテーに相当


トロイア戦争-Wikipedia

wikiトロイア戦争

wikiトロイア戦争2


この戦の起因は、『キュプリア』に詳しい。大神ゼウスは、増え過ぎた人口を調節するためにテミス(秩序の女神)と試案を重ね、遂に大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固めた。

オリンポスでは人間の子ペーレウスとティーターン族の娘テティスの婚儀が行われていたが、エリス(争いの女神)のみはこの饗宴に招待されず、怒った彼女は、最も美しい女神へ捧げると叫んで、ヘスペリデス(不死の庭園)の黄金の林檎を神々の座へ投げ入れた。この供物をめぐって、殊にヘーラー、アテーナー、アプロディーテーの三女神による激しい対立が起り、ゼウスはこの林檎が誰にふさわしいかをトロイアの王子パリスにゆだねた(パリスの審判)。

三女神はそれぞれが最も美しい装いを凝らしてパリスの前に立ったが、なおかつ、ヘーラーは世界を支配する力を、アテーナーはいかなる戦争にも勝利を得る力を、アプロディーテーは最も美しい美女を、それぞれ与える約束を行った。パリスはその若さによって富と権力を措いて愛を選び、アプロディーテーの誘いによってスパルタ王メネラーオスの妃ヘレネーを奪い去った。パリスの妹でトロイアの王女カッサンドラーのみはこの事件が国を滅ぼすことになると予言したが、アポローンの呪いによって聞き入れられなかった。

メネラーオスは、兄でミュケーナイの王であるアガメムノーンにその事件を告げ、かつオデュッセウスとともにトロイアに赴いてヘレネーの引き渡しを求めた。しかし、パリスはこれを断固拒否したため、アガメムノーン、メネラーオス、オデュッセウスはヘレネー奪還とトロイア懲罰の遠征軍を組織した。

この戦争では神々も両派に分かれ、ヘーラー、アテーナー、ポセイドーンがギリシア側に、アポローン、アルテミス、アレース、アプロディーテーがトロイア側に味方した。

古代都市イーリオスは長く伝説上のものと思われていたが、19世紀末、ハインリヒ・シュリーマンによりトロイア一帯の遺跡が発掘された。遺跡は9層になっており、シュリーマンは発掘した複数の時代の遺跡のうち、火災の跡のある下から第2層がトロイア戦争時代の遺跡と推測した。後に第2層は紀元前2000年よりも前の地層でトロイア戦争の時代よりもかなり古いものであることが判明した。シュリーマンと共に発掘にあたったデルプフェルトは下から6番めの第6層に破壊や火災のあとがあることから、第6層がトロイア時代のものであると考えた。1930年代にブレゲンによって再調査が行われ、第6層の都市の火災は部分的で破壊に方向性があることから地震の可能性が強いと推測した。そして第7層の都市は火災が都市全体を覆っていることや、破壊の混乱ぶりから人為的なものであると推測する。また、発見された人骨も、胴体と頭部が分離したものが発見されるなど、戦争による人為的な破壊を間接的に証明した。現在では第7層がトロイア戦争のあったと伝えられる時期(紀元前1200年中期)であると考えられている。


イリオス-Wikipedia

wikiイリオス


ギリシア神話に登場する都市。イリオン(イオニア方言形:?λιον, ?liov イーリオン)、トロイア(アッティカ方言形:Τρο?α, Troia トロイア、イオニア方言形:Τρο?η, Troi? トロイエー、ドーリス方言形:Τρω?α, Tr?ia トローイア)、トロイ(英語:Troy)、トロイアー(古典ラテン語:Troja トロイヤ)などとも呼ばれる。現在のトルコ北西部、ダーダネルス海峡以南(同海峡の東側、アジア側、トルコ語ではトゥルヴァ)にあったとされる。遺跡の入り口には、有名な「トロイの木馬」の複製が建てられている。

一般に、ハインリヒ・シュリーマンによって発掘された遺跡がイリオスに比定されている。神話ではかなりの規模を持った都市国家であるが、現在発掘によって確認される遺跡は城塞以上のものではない。ギリシア神話においては、アガメムノーンを頭とするアカイア軍に滅ぼされたとされ、そのあらましはホメロスの『イーリアス』をはじめとする叙事詩環に描かれている。

トロイの古代遺跡については、イリオス遺跡を参照のこと。



かなり長いので引用を端折ってるが、

かいつまんで言うと「ヴィーナス」の子である


アイネイアースはトロイア=トルコでギリシャと

戦い、敗北してイタリアのラツィオに逃亡、


そこでローマの元となる都市の王になり、

その子孫であるロームルスが古代ローマを建設


した、ということでつね。


女神の末裔が国を建国、どっかで聞いたことある


話でつね。


しかも、ローマ建国神話はギリシャ神話の


パクリ(縛w

つまり処女懐妊・キリスト生誕の話は


ギリシャ神話からのパクリのパクリ(縛w


まあ皆さん聞いたことあると思うが、


トロイの木馬は歴史的事実だったことを窺わせる

発掘などもあるわけでつね。




ギリシア神話-Wikipedia

wikiギリシア神話

wikiギリシア神話2

wikiギリシア神話3


古代ギリシアより語り伝えられる伝承文化で、多くの神々が登場し、人間のように愛憎劇を繰り広げる物語である。ギリシャ神話とも言う。

古代ギリシア市民の教養であり、さらに古代地中海世界の共通知識でもあったが、現代では、世界的に広く知られており、特に、ギリシャの小学校では、ギリシャ人にとって欠かせない教養として、歴史教科の一つになっている

ギリシア神話は、ローマ神話の体系化と発展を促進した。プラトーン、古代ギリシアの哲学や思想、ヘレニズム時代の宗教や世界観、キリスト教神学の成立など、多方面に影響を与え、西欧の精神的な脊柱の一つとなった。中世においても神話は伝承され続け、その後のルネサンス期、近世、近代の思想や芸術にとって、ギリシア神話はインスピレーションの源泉であった。

今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられている。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされる。当時のヘレネス(古代ギリシア人による彼ら自身の呼称)の世界には、神話としての基本的骨格を備えた物語の原型が存在していた。

しかし当時の人々のなかで、特に、どのような神が天に、そして大地や森に存在するかを語り広めたのは吟遊詩人たちであり、詩人は姿の見えない神々に関する真実の知識を人間に解き明かす存在であった。神の霊が詩人の心に宿り、不死なる神々の世界の真実を伝えてくれるのであった。そのため、ホメーロス等の作品においては、ムーサ女神への祈りの言葉が、朗誦の最初に置かれた。

口承から文字記録へ

口承でのみ伝わっていた神話を、文字の形で記録に留め、神々や英雄たちの関係や秩序を、体系的にまとめたのは、ホメーロスより少し時代をくだる紀元前8世紀の詩人ヘーシオドスである。

また数々の英雄たちの物語のなかには、紀元前15世紀に遡るミュケーナイ文化に起源を持つものがあることも、各地の遺跡の発掘研究を通じて確認された。


ミケーネ文明-Wikipedia

wikiミケーネ文明


ミケーネ文明は、紀元前1450年頃、アルゴリス地方で興り、ミノア文明と同じく地中海交易によって発展した。ミノア文明との貿易を通じて芸術などを流入し、ついにはクレタ島に侵攻、征服したと考えられる。このころ、ミケーネはトローアスのイリオスを滅ぼし(トロイア戦争)、後にこれをホメーロスが叙事詩『イーリアス』の題材としたが、イリオスで大規模な破壊があったことは認められるものの、これが事実かどうかは推察の域を出ない。紀元前1150年頃、突如勃興した海の民によって、ミケーネ、ティリンスが破壊され、ミケーネ文明は崩壊した。これは後にスパルタを形成するドーリア人の手による。



やはりパクリ元のギリシャ神話の方が説明が

はっきりしてる(縛w


古代ローマができたころにはギリシャ神話の

筆記が始まってたにも拘らず、ローマではまだ


筆記されてなかったわけでつね。


さて、トロイア戦争やギリシャ神話に史実性が


あるとしたら、トロイア戦争で負けたアイネイ

アースやその子孫にも史実性があるんじゃないで


せうかね?


とすると、アイネイアースの母であるウェヌスや


ユーピテルにも史実性・実在性があるということ

でつね。




昨日公開できなかった上に非常に中途半端で

申し訳ないがアメブロの文字数制限でここまで。

「(中編)・2」は今日中に公開しますm(__)m

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続きが気になって仕方ないですねこれは。
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