現在の閲覧者数:

真の神より御製を賜る

.
皇居で新春恒例の歌会始
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170113/k10010838021000.html

news皇居で新春恒例の歌会始


新春恒例の「歌会始」が、13日、皇居で行われました。

ことしの「歌会始」のお題は「野」で、全国と海外から合わせて2万首余りの短歌が寄せられました。

皇居・宮殿の「松の間」では、はじめに、入選した10人の歌が天皇皇后両陛下や皇族方の前で古式にのっとって披露されました。

このうち、東京・板橋区の高校2年生、鴨下彩さん(17)は、会いたかった人などを見かけた時に話したくても話しかけられない切なさやもどかしさをイメージして、「野原なら まつすぐ走つて ゆけるのに 満員電車で 見つけた背中」と詠みました。

宮城県の職員として東日本大震災の復興事業に携わった仙台市の公益財団法人職員、角田正雄さん(62)は、沿岸部の復興が一歩一歩進んでいる様子を、「積み上げし 瓦礫の丘に 草むして 一雨ごとに 野に還りゆく」と詠みました。

続いて、皇族方の歌が披露され、療養中のため欠席した皇太子妃の雅子さまは、ご一家で那須御用邸の敷地を散策した際、そこに咲く秋の草花の名を愛子さまに教えた時の喜びを、「那須の野を 親子三人(みたり)で 歩みつつ 吾子(あこ)に教(をし)ふる 秋の花の名」と詠んだ歌を寄せられました。

皇太子さまは、9年前、山梨県の笠取山で多摩川の源流となる小さな水の流れを見て、流れゆく先に思いをはせ、「岩かげに したたり落つる 山の水 大河となりて 野を流れゆく」と詠まれました。

皇后さまは、さまざまな野草が育つお住まいの御所の庭で季節季節の自然を楽しみながら、野に住むように過ごしてきたこれまでの生活を感慨深く振り返り、「土筆(つくし)摘み 野蒜(のびる)を引きて さながらに 野にあるごとく ここに住み来(こ)し」と詠まれました。

最後に、天皇陛下の「邯鄲(かんたん)の 鳴く音(ね)聞かむと 那須の野に 集(つど)ひし夜(よる)を なつかしみ思ふ」という歌が詠み上げられました。

この歌は、18年前の秋の夜、那須御用邸の敷地で「邯鄲」というバッタの一種の鳴き声に皇后さまや動植物の研究者たちと耳を傾けた時の思い出を詠まれたものです。

来年の歌会始のお題は「語」で、「語」の文字が詠み込まれていればよく、「語感」や「物語」のような熟語にしてもかまいません。

作品は13日から9月30日まで受け付けられます。



古代支那地区の歴史に造詣のある読者なら

一瞬でピンと来るでせう。




邯鄲市-Wikipedia

wiki邯鄲市

wiki邯鄲市2


中華人民共和国河北省南部に位置する地級市。京広線の沿線にあり、石炭業のほかセメント製造、鉄鋼業、紡績業、電子産業などが盛んであり、その交通の便から工業全体が伸びている。

戦国時代の趙の首府であり、日本ではとりわけ「邯鄲の夢」「邯鄲の歩み」の故事によって有名である。

始皇帝の故郷
邯鄲市は始皇帝の出身地でもある。は趙に対し人質として王・昭襄王の孫、子楚(後の荘襄王)を差し出したが、大商人呂不韋は子楚の非凡さを見抜き身元を救い出し、後に後見人として勢力を振るった。彼は自分の愛人を子楚に与え、生まれた子が政、後の始皇帝である(政の父が誰であるかについては始皇帝の項も参照)。始皇帝は生まれてまもなく秦と趙との戦いに巻き込まれ子楚が王になるまでの6年間邯鄲の富豪にかくまわれたという。趙を滅ぼした後一度だけ邯鄲に入城し、生母の敵たちを皆生き埋めにしたと伝わる。



ten秦氏
【新年特集】ハーン3 ~対立の根源と神の天皇(後編)~こちら




恐悦至極に存じ奉ります。

スポンサーサイト

コメント

Secret

No title

...絶句であります。他に何も言えません。
プロフィール

わかり松。

Author:わかり松。
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR